言語

常盤群島では,常盤語以外の言語に出会うことは極めて難しい。

しかし,常盤群島が極めて広大であるため,
方言が多種多様に存在する。

大まかな分類によれば,
首州では,
両湾方言(湾陰・湾陽),
王朝言語(首北・首内西部),
海西言語(海西・首内東部),
海陽方言(湖庭・海陽),
河首方言(河首・湾陰の一部)
がみられ,

亜州では,
亜北方言(亜北),
東洋方言(亜州東岸),
亜内方言(亜内),
亜南方言(亜南),
緖土方言(海東北部),
古日言語(海東),
がみられる。

また,常盤語以外の話者が全く存在しないわけではなく,
東洋諸島の一部や亜北の一部において,ユグダ語を話す地域がある。

ユグダの人々は,
古代には,北海諸島,首北,背州,亜州全域に広く居住していたというが,

常盤人による諏訪王権や,瑞穂王権によって,
北方や極東へ逐われたと考えられている。




気候

亜北地方,北海諸島,南海諸島,礼栄列島を除いた
常盤群島の大部分は,温暖湿潤気候に属する。

春夏には,東洋から南東の風が吹く。

南の海上を行く風は,温度が高く,蒸発した海水をふくんで湿り気も帯びている。
この風は,晩春から初夏にかけて,北海方面の冷たい風と闘う。

それは,まさに前線であり,冷やされた湿った風は,雨を降らせる。
梅雨である。

やがて北海の風が,北へ引き上げると,梅雨も明けようやく夏である。
そして東洋の海水をたっぷり含んでやってくる風に支配される常盤の夏は,
湿度が高い。

そして,秋,一旦引き上げた北海の風が,帰還してくる。
また,東洋の風と北海の風のぶつかり合いとなる。

このぶつかり合いは,秋雨を呼ぶ。
南海から台風の到来するころであり,豪雨になることもある。

さて,冬。
風は,北東,大陸側から吹いてくる。
本来,陸側から吹く風は,水分を含む要素も少ないので乾燥しているが,
大陸と常盤群島の間には,常盤海がある。

大陸の乾いた風は,
常盤海でたっぷり水分を補給して常盤群島にやってくるのだ。
気温の低い時節でもある。雨ではなく雪になる。
河首地方沿岸部や湾陰・湾陽は豪雪となる。


その一方で,亜北地方や北海諸島は,冷帯湿潤気候に属し,
南海諸島や礼栄列島北部は亜熱帯気候,
南部には熱帯雨林気候も見られる。


常盤群島は,「水」にとにかく恵まれた地であり,
気候の多様性も相まって,生命の宝庫となっている。


魔導機士事典 序章

生命の根源となるエネルギー。

その存在をもたらした「坤輿人(こんよじん)」の一団。

遠い宇宙にある「坤輿」という惑星
から「チキュウ」にやってきたという。

しかし,チキュウ人類がこれまで散々想像してきた

「宇宙人」の姿は,彼らにはなかった。


「チキュウ人類」そのものの「坤輿人類」の姿。

擬態も変装もしてはいないという。

驚くべきことに,いわゆる「宇宙船」を降り立った彼らは,

「チキュウ」に「存在」する言語を話した。

英語やドイツ語,
それにスペイン語に,中国語……さらに,日本語も。

なんと,彼ら個人個人の母国語であるというのだ。


「地球」の双子とも言える「惑星」が存在していたのである。

遠い宇宙に……この謎。

そして,「双子」がもたらしたエネルギーは,
「命」を意味するギリシャ語にちなみ,チキュウでは「ビオス」と呼ばれる。

「ビオス」には,特別な力があった。

連鎖反応を阻害し,
核兵器を無力化する力……

特殊技術によって結晶化(ジェイド化)することで,
極めて長期間に渡り莫大なエネルギーを放出する能力……

これによってまず,核廃絶への扉が開かれた。

だが,地球に平安は訪れなかった。

核なき世界の実現で,核戦争の脅威が消滅したため
皮肉にもかえって戦争への抵抗が薄らいでしまったのである。

核抑止力の消滅により,外交のほころびが,
戦争へ結びつきやすくなってしまった世界……

特に,あらたに世界の火薬庫となった東アジアは緊迫していた。

外圧とそれまでの反動から軍備増強へと舵を切った日本。

ビオス特殊結晶体である「ジェイド」をいち早く軍事転用し,
「兵器」の動力として使うようになった。

生命エネルギーを動力源・兵器として使う「人型兵器 魔導機士」が誕生した。

しかし,事はそれだけでは済まなかった。

自己増殖・自己修復を行い,自分たちを監督,制御する
「勤労機士」が誕生したのである。

もちろん動力は「ジェイド」である。

世界各地に,「勤労機士」を利用したコミュニティが生まれた。

人の「労働」を限りなく必要としないコミュニティである。

そこでは,だれもが自身が保有する「機士」に労働を請け負わせて生活した。

司法や立法,行政の核となる部分以外を人が担わなくなった。

しかし,外部には,この新たなコミュニティを憎悪する人々がいた。

まず,純粋に糧を自らの労働によって得るべきとする人々――
そして,近代資本主義経済によって利益を上げる人々であった。

後者は,「機士コミュニティ」を積極的に潰そうとした。
実力行使をも伴った方法で。

もちろん,「コミュニティ」側も黙っていない。

「魔導機士」を量産して対抗する。

「コミュニティ」はしかし,戦争を「機士」に委ねなかった。
それは,「人が担うべき行政の核」であるとされたのである。

また,登場から間もない「機士」の暴走を恐れてのことでもあった。

世界は,「国家」の力がグローバル化・ローカル化によって低下していた。

世界規模での「コミュニティ」の誕生に「国家」が振り回され始めた。

一方で,「国家」という存在はまた,
現実的かつ機能的な面も有していた。

「国家」を「コミュニティ政権」が掌握する地域もあった。

日本も「コミュニティ」陣営が政権与党の座に就いた。


中世の変質

海東をのぞく亜州では,13世紀に入ってようやく封建的分権社会へ移行した。
各地を統治する勢力も,社会の変質とともに交替する。

亜南・亜内を統治していた川内国が滅亡し,
亜南は,後志賀国,
亜内は,名和国がそれぞれ統一した。

海東は依然として,日生国の強い地域であったが,
日生国の直接統治を受けない海東北部は,
12世紀の終わりころに興った緖土国が制した。

後志賀国,
名和国,
日生国,
緖土国は,
亜州の覇権をめぐって,相互に抗争する状態であった。

他方,首州の統一勢力は,14世紀末,
各務国から広奈国へと交替する。

広奈国の初代皇帝 始元帝は,
分裂状態の亜州を征服すべく,親征を行うが,

亜州諸国は,強大な広奈国の軍事力を前にすると,結束を固めた。

ここに至って,広奈軍は惨敗を喫し,
広奈国と亜州諸国の間は,均衡状態となる。


中世の常盤

さて,諏訪王権に首州を逐われ,南海諸島に移り住んだ人々は,
南海諸島各地で,クニを建てた。
そのうち,安鳥(あとり)諸島のヒナセ政権は,
前1世紀中ごろには早くも安鳥全域を制する。

ヒナセ政権はその後,
ほぼ一世紀を費やして,南海諸島全域にその勢力を及ぼすようになった。

さらに,3世紀末,首州・亜州を支配する瑞穂が弱体化すると,
海陽・亜南・海西・海東などに進出して勢力を扶植し,
一大勢力となっていく。


やがて4世紀初頭の瑞穂の衰退をきっかけに,
首州では各地の有力豪族が自立するようになる。

瑞穂帝室の傍流は,亜州の長門半島を本拠として帝室の再興を期する。
これを俗に「長門政権」または,「長門国」と呼ぶ。

しかし長門政権は,ついに首州を回復することはできず,
足下の亜州内でも徐々に有力豪族の独立をゆるし,
8世紀には滅亡した。

首州では,4世紀には,
来海(くるみ)国が出て,首州全域を制圧,
さらに,大陸の制度を取り入れて,律令体制を整備していく。

来海国は,清峰州など,海外にも影響力を及ぼし,
また,常盤全土の統一を目指して
たびたび長門政権をも攻撃したが,
亜州への進出を果たすことができないまま,
長門政権よりも早く,7世紀には滅んでしまった。


首州の覇者は,
来海国の後には,
須藤国になる。

須藤国の下では,律令体制は緩やかに,
しかしながら大きく変化してゆき,
貴族制の時代を迎える。

10世紀に須藤国にかわって首州を統一した生原(きはら)国,
12世紀にその生原国にとって変わった各務(かがみ)国はともに,
封建的分権社会を基盤とする国家であった。

他方,亜州では,
長門政権の崩壊後には,統一勢力が現れず,
諸国分立が続く。

亜内地方には,
志賀国が興り10世紀まで続く。
志賀国にとってかわったのは,
川内(せんだい)国で,これは,13世紀まで続いた。

亜南地方には,トヨハラ政権が興ったが,
これは,ヒナセ政権の一部が建てた国である。
トヨハラ政権は,本国であるヒナセと激しく抗争したが,
そのために勢力を弱め,5世紀末には滅亡した。

トヨハラの故地は,6世紀の始めころ浜名国が制したが,
この国は,元々,ヒナセと組んでトヨハラを攻撃した国であり,
トヨハラの滅亡後,ヒナセとともに志賀国に対抗するようになる。


南海を発祥とするヒナセは,瑞穂衰退以降,
海東・海西・南海にまたがる海洋帝国に成長した。

ところが,5世紀に入るとヒナセは3つの勢力に分裂する。
南海の「ナナセ」,
海東の「ヒナセ」,
亜南の「トヨハラ」がそれである。

ナナセは,内紛により最も早く5世紀の内に滅び,
トヨハラは前述のごとく,
ヒナセと浜名両勢力の挾撃に遭ってこれも滅んだ。

これにより,三つのヒナセは,一つのヒナセとなったが,
かつての一大海洋帝国の面影はもはやなく,
ヒナセの版図は,海東地方のみに縮小した。

トヨハラの旧版図には浜名国があり,
ナナセの旧版図には,
ヒナセに従わない諸豪族が分立していたのである。

ヒナセは,かつて諏訪,瑞穂という強大な「帝王」に苦しめられた経緯から,
「帝王アレルギー」とでも言うべき性格をもつようになっており,
有力者の選挙によって首長を決定する仕組みを選んでいた。

この首長はやがて,「総攬(そうらん)」と呼ばれるようになり,
クニの名である「ヒナセ」にも「日生」という文字を宛てるようになる。

さらに,大陸の文物を重視する風潮が盛んになった5世紀ころには,
「日生」という国号を音読みで「にっしょう」と読むようになった。

日生国は,首州・亜州で数多の国が興亡するのを尻目に,
連綿と存続し続けていく。


実は,今ひとつ連綿と存続し続けていく存在があった。

瑞穂帝室の血脈である。
古代瑞穂王朝が消滅した後も,
帝室の末裔は各地で,地域の有力者として遺り続けていた。

そして,唯一,瑞穂帝室の男系の末裔だけが
「皇帝」
の号を称することが認められていた。

国家の長を「皇帝」を称し,
自国を「帝国」と称するのは,
瑞穂帝室の男系の子孫によって建てられた国である。

無論,中には明らかな詐称も存在しており,
また,詐称とは断定できないまでも,
古代瑞穂とは関係性が詳らかでない国もあった。