主戦場は,やはり神聖が自ら指揮する初瀬口であった。
日生側は,初瀬の城の外側に惣構を構築し,さらに惣構の外に出丸まで築いて防備を固めた。
綾朝も大砲を揃えて,惣構の内側を狙った。
さらに,綾朝は,坑道を掘って惣構の突破も図る。
けれども,大砲と砲手は日生軍の方がやや優秀であり,砲撃戦で動揺を生じたのは綾朝であった。
しかも坑道作戦も,日生側は,すぐに対応して阻止してみせた。
水上では,一時,兵力差から綾朝側が,初瀬沖の島嶼部を攻略した。
日生側では,戦力集中の観点から島嶼部の放棄を神聖に献策する者もあったが,
「敵兵に蹂躙される民を見捨てることなどできない。
民心の離反を招くことにもつながる。」
と,神聖は島嶼部への救援を決定,早良晟・沢渡玲は,島嶼部で抵抗を続ける藤真慶政を救援し,
綾朝軍を追い払った。
戦果は挙がらず,包囲が長引き始めると,綾朝軍の士気は急速に低下し始めた。
日生軍は攻勢に転じ,綾朝軍の包囲を分断した。
初瀬口の綾朝軍は,高屋敦綱を殿軍として撤退を始めた。
高屋隊は,次々と討ち取られ,敦綱自身も手傷を負った。
しかしそれでも,香耶秀治を銃撃で負傷させて日生側の追撃を止めてみせた。
秀治は傷の状態が思わしくなく,美城に戻っての療養を余儀なくされた。
一旦,追撃を止められた日生軍であるが,態勢の立て直しが遅れた綾朝への攻撃を開始し,
須堂を奪取した。
他の戦線でも日生軍は優勢に立った。
殊に山吹口では,綾朝軍の将 里見泰経・四方堂国顕を戦死させて,成平の手前まで侵攻した。
また,泉口・尾崎口でも,日生軍は士気は高く優勢であり,綾朝軍を高良まで押し戻した。
海東でも,芳野口・上平口で日生軍が猛攻をかけ,綾朝軍を敗走させている。
綾朝軍は,総崩れと言ってよかった。
日生国は,多数の捕虜を得たが,全て丁重に扱い,綾朝へと帰らせた。
日生側は,初瀬の城の外側に惣構を構築し,さらに惣構の外に出丸まで築いて防備を固めた。
綾朝も大砲を揃えて,惣構の内側を狙った。
さらに,綾朝は,坑道を掘って惣構の突破も図る。
けれども,大砲と砲手は日生軍の方がやや優秀であり,砲撃戦で動揺を生じたのは綾朝であった。
しかも坑道作戦も,日生側は,すぐに対応して阻止してみせた。
水上では,一時,兵力差から綾朝側が,初瀬沖の島嶼部を攻略した。
日生側では,戦力集中の観点から島嶼部の放棄を神聖に献策する者もあったが,
「敵兵に蹂躙される民を見捨てることなどできない。
民心の離反を招くことにもつながる。」
と,神聖は島嶼部への救援を決定,早良晟・沢渡玲は,島嶼部で抵抗を続ける藤真慶政を救援し,
綾朝軍を追い払った。
戦果は挙がらず,包囲が長引き始めると,綾朝軍の士気は急速に低下し始めた。
日生軍は攻勢に転じ,綾朝軍の包囲を分断した。
初瀬口の綾朝軍は,高屋敦綱を殿軍として撤退を始めた。
高屋隊は,次々と討ち取られ,敦綱自身も手傷を負った。
しかしそれでも,香耶秀治を銃撃で負傷させて日生側の追撃を止めてみせた。
秀治は傷の状態が思わしくなく,美城に戻っての療養を余儀なくされた。
一旦,追撃を止められた日生軍であるが,態勢の立て直しが遅れた綾朝への攻撃を開始し,
須堂を奪取した。
他の戦線でも日生軍は優勢に立った。
殊に山吹口では,綾朝軍の将 里見泰経・四方堂国顕を戦死させて,成平の手前まで侵攻した。
また,泉口・尾崎口でも,日生軍は士気は高く優勢であり,綾朝軍を高良まで押し戻した。
海東でも,芳野口・上平口で日生軍が猛攻をかけ,綾朝軍を敗走させている。
綾朝軍は,総崩れと言ってよかった。
日生国は,多数の捕虜を得たが,全て丁重に扱い,綾朝へと帰らせた。