古代の常盤

常盤群島への人類の流入は,
およそ10万ないし5万年前ころであったと推定されている。
その後,2万年前ころには首州で土器を持つ文化が出現し,
その伝播が見られた。

紀元前10世紀ころになると,
大陸から稲作文化が伝来して,
各地で集落の形成が進んでいく。

やがて,紀元前3世紀ごろには,
北海から内海両岸・首内地方など各地に集落国家の連合による王権が成立した。

各王権同士は,互いに抗争状態となったが,
まず,首北地方の諏訪王権が強大化した。

前2世紀中ごろには,諏訪王権が河首と湾陰の一部を除いた,
首州の大半を影響下におく。

これにより,湖庭地方や海陽地方で,諏訪王権に対抗していた集団は,
南海諸島に逃れていった。

さらに前2世紀末には,諏訪王権は,大規模な東征を行い,
亜州の海東・亜内・亜南内陸部に勢力を及ぼすに至る。

ところが,諏訪王権は,七瀬王が崩じた後,王権が弱体化,
亜州征伐で大功を立てた不二が実権を握った。

やがて不二は,王朝内の反対派を制圧,
後11年には,ついに諏訪国より禅譲を受け,王位に就く。

不二は国号を「瑞穂」とし,大陸に倣って「皇帝」の号を称した。

瑞穂は,その後,河首地方や亜南南岸地方,
亜北地方へと勢力を拡大してゆき,

常盤群島の大半を勢力圏とすることに成功した。

その上,瑞穂は,諏訪王権とは異なって,安定した政権でもあり,
24代416年もの間,継続するのである。