太子時代

広奈国には,苦い記憶があった。

初代皇帝 始元(しげん)帝(位1261-1281)が,亜州遠征に失敗し,
その身すらも危うくしたという記憶である。

そのため,歴代皇帝は内治を重視し外征には消極的になってしまった。

八代 天祥(てんしょう)帝(位1375-1412)もまた,同様であった。

けれども,天祥帝の太子 詮敏(あきとし)は,
父帝の消極姿勢に不満をもっている様子を見せる。

一方で,天祥帝にとってこの太子は,憂いの元であった。

臣下たちは,太子の聡明さに期待を寄せているようであったが,
天祥帝には,太子が本物の聡明さを備えているようには思えない。

太子が,己を過信し,己を恃み,それゆえに傲慢に振舞っているように見えた。

帝は
「この国は,この太子によって滅ぶのではないか」
と,こぼすことすらあった。

ともかくも,
太子時代の 詮敏は,
非常に学問に熱心であったという。


結局,亜州の征伐を唱える詮敏の意が通ることはなく,
やがて天祥帝は崩じた。