順正帝は,遠征失敗の失意を抱えて,広京に還幸した。
帝には,更なる不幸が待っていた。
皇后 風子が崩じたのである。
風子を死に至らしめたのは,心労に他ならなかった。
風子の心労の源は,息子 詮文が,
貴族達に担がれて皇太子を追い落とそうとしていることに他ならなかった。
風子という人は,どこまでも慎み深い性質であり,
必要以上に多くを望むことは絶対にしない人であった言われている。
「多くを望むことと災いを招くこととは,ひとしい」
と心の底から思っていたようである。
帝室において弟の立場である詮文が,
兄である皇太子を凌ごうとするのは,不遜な上,
望みすぎであるように風子には感じられた。
それに実のところ風子は,皇太子を尊敬してもいた。
「皇太子殿下は,初めて対面したときから,
私を母親として敬ってくださった。
先の皇后陛下を実母にもたれる太子殿下にとって,
私のような身分低い者が皇后になるのは不満であったはずなのに,
そんなことは微塵も表に出されなかった。
これほどに大きな方は古今どこにもおられまい。」
と。
だからこそ,自分の産んだ詮文には,
弟として兄である皇太子を敬ってほしかった。
そして皇太子がやがて皇帝に即位した時には,
臣下として忠節を示してほしかった。
それが,詮文が幸福になる道だと風子は信じていた。
だから,詮文が嬉々として皇太子の廃嫡を狙う現状は,
風子にとって耐え難いものに違いなかった。
風子は,何度も詮文を諫めたという。
順正帝にも,詮文に対する待遇をいま少し軽くしてくれるように頼んだこともあった。
しかし,状況は変わらなかった。
詮文は相も変わらず,皇太子の位を狙い続けたし,
順正帝も詮文を太子以上に厚遇した。
順正帝という人は,
多くを望める立場にありながら
多くを望まない人間がこの世にいるなどとは
夢にも思っていないようであった。
風子が詮文の待遇を軽くしてくれるように頼んできたのは,
単純な遠慮だろうと本気で思っていたのかもしれない。
結局,風子は,心労を募らせるばかりとなり,
体を弱め,ついに不帰の客となってしまったのである。
