順正帝は,
またも,日生の都,久礼を狙った。
久礼の都が,対外交易および海内東西交易の中心として,
大いに栄えていたためではないかと言われている。
順正13年(1424),第二次亜州遠征が開始された。
広奈軍の指揮は,藤真貞政(とうま・さだまさ)と
南條敏晴(なんじょう・としはる)である。
藤真家は,広奈水軍の一翼を担う北海諸侯の中にあって,
最大の勢力を有する名門であり,
南條家は,これも広奈水軍の一翼を担う南海諸侯中の雄であった。
しかし,やはり久礼を陥落させることはできなかった。
久礼を守る日生国の水軍は,
指揮命令系統が優れて整っていた。
他方,広奈水軍は,強力な戦力を保有しているとはいえ,
諸侯の水軍の寄せ集めであった。
加えて,帝室に近しい北海諸侯と
自由な気風の南海諸侯は反りが合わない。
広奈軍は結束を欠いていたのである。
さて,遠征が失敗したとはいえ,
広奈国が依然として強勢を誇っていることに変わりはなかった。
そこで亜州の諸国は,広奈軍がみたび侵攻してくることも考慮に入れて,
連携を深めることとした。
以後,日生国・後志賀国・名和国・緖土国の亜州四国の元首間では,
政略結婚が繰り返されるようになるのである。
