晩年

順正帝は,風子の死を大いに嘆いた。

しかし,かつて靖子や花園詮郷を失ったときのように覇気を失うことはなかった。

帝にはまだ詮文という希望が存在していたからである。

順正帝は,まもなく五度目の亜州遠征を企図し,
水上戦力の回復を図り始める。


だが,帝はこのあたりで気付くべきだった。
自分の帝国がすでに限界を迎えようとしていることに。

街道や運河の整備,そして,四度に渡る亜州遠征とその失敗。

順正帝によるこれらの事業は,
帝室財政を確実に破綻させていった。

しかもそのしわ寄せは,
度重なった天変地異からようやく立ち直り始めた民に,
増税という形でのしかかった。

民間の帝室に対する怨嗟の声は日に日に高まっていく。

しかし,順正帝がそのことに気付いた気配はない。

それどころか,帝は帝室そのものまでも崩壊させはじめていた。

詮文への盲愛に溺れて,太子を軽んじたからである。

帝は,ここへきてついに太子の廃嫡を決意した。
もはや太子廃嫡のことは,朝廷での正式な決定を待つだけになろうとしていた。