最期

ときに,太子派盟主である一条智綱は,
名島詮時の叛意が次第に大きくなってきていることを見抜いていた。

このことを伝えるべく,
智綱は,順正帝に拝謁を願ったのだが,
それはかなわなかった。

帝は,智綱に会おうとすらしなかったのである。

しかたなく,智綱は,風子の父,文業(ふみなり)の下へ向かった。

詮時を遠ざけるよう,文業の口から順正帝に進言してもらうためである。

ところが,文業は政敵である智綱の言葉を疑ってかかり,
まともに取り合おうとはしなかった。


智綱は,間者をはりめぐらせて対応するより他なく,

「陛下をお救い出来るか否かは危ういところだ。」

そう思ったが,

「人事は尽くした,後は天命を待つのみ。」

と腹をくくることにしたようである。

     
やがて帝は,五度目の遠征を口にするようになった。

藤堂一族はあいも変わらず,
順正帝のそばで調子のよいお追従を繰り返し,
その実,帝を操っていた。

しかも,次第に帝国は傾いている。
詮時は思う。

「もはや,陛下に改心を期待するのは無理のようだ。
かくなる上は,帝室に連なる私が皇帝となってやろう。」と。

順正34年(1445),ついに,詮時は自身が預かる近衛軍を率いて宮廷を襲撃した。

眠り込んでいた順正帝は,
詮時の兵によってあっけなく弑された。

一条の間者は,
帝の救出には,間に合わなかったのである。

詮時は,続けて,藤堂一族の屋敷を襲撃する。
都の各所にいた藤堂一族は片っ端から討たれ,
ついに族滅するに至る。