世代交替

美好氏と今原氏の勢力は,なおも均衡状態にあった。

しかし,その均衡は突如として破られることとなる。
天啓8年(1493),今原当主 具行が薨去したからである。

美好重時は,この時とばかりに大挙,今原領を襲う。
具行の後を継いだ具尚(ともひさ)は,みずからこれを迎え撃つことにした。

両軍は,またも伴瀬の地で激突する。
具尚は,温室育ちの御曹司と言ってよい人物であった。

戦に出た経験はそれなりにあるものの,
彼には決定的に指揮官としての才能が欠落していた。
これでは百戦錬磨の美好重時の相手になるはずもない。

やがて戦端が開かれると,美好軍は徐々に後退を始めた。
具尚は,これを美好軍が敗退し始めているものと思い込んで,
自軍を一気に突出させる。

具尚は,美好軍の中央を突破する気であった。

しかし美好軍の後退は,
具尚を陥れるための罠だった。

突出しすぎた今原軍は,
いつしか美好軍の懐深くに包み込まれる形となっていた。

この間に美好軍の遊撃部隊は,
今原軍の後方へとすばやく回りこむ。

こうして今原軍は,美好軍によって完全に包囲される形となり,
壊滅的打撃をこうむる結果となった。

今原当主 具尚は,勇将 花倉行貴(はなくら・ゆきたか)の働きによって
辛くも美好軍の包囲を脱し,
無事,本拠 青綾へ帰還することに成功した。

しかし,伴瀬での惨憺たる敗北は,
今原家の威信をおおいに傷つけるものとなった。

結果として,今原方から美好方へと鞍替えする諸侯が相次ぐようになる。

天啓9年(1494),こうした状況を機に宗治が動いた。川上氏に使者を派遣したのである。
その目的は,川上氏を今原方から美好方へと鞍替えさせることにある。

「先の戦い以来,美好家は今原を圧倒し始めております。
重時公は,このまま一挙に今原家をたたこうと考えておいでの様子。

しかし,今原を攻めるとき,後顧の憂いとなっている者があります。
重時公の後顧の憂い,それは川上殿,あなたにほかなりません。

重時公は,今原に止めをさす前にまず,
あなたを攻め滅ぼそうとなさるに違いありません。

そのとき,力を失った今原ではあなたを救援することなどできますまい。」

と安達の使者は,川上当主 清秀に懇々と説いた。

清秀はもっともなことだと思い,
ついに今原と絶縁,美好家に臣属する道を選んだのであった。

いよいよ劣勢に立たされ始めた今原方は,新たな手を打った。
北氏との講和,及び同盟である。

これまで北氏は,美好方と組んで今原氏に敵対していた。
しかし,今原方が二見地方を差し出すことを提案すると,
北家当主 詮房(あきふさ)は,たちまち美好氏と手を切って今原氏と講和,
あまつさえ同盟まで結んだのである。

北氏との同盟樹立により,
今原方はかろうじて土俵際に踏みとどまった形になった。

しかしそれでも完全に態勢を立て直すところまではいかない。

ここにきてもなお,今原から美好へ寝返るものがちらほらと出ていたのである。

中でも今原家にとって大きな衝撃となったのは,
天啓10年(1495)に,金山の点在する山吹地方の小諸侯 中山義直が,
美好方へと転じたことであった。

山吹地方の金山はこれまで,
常盤有数の金産出量を誇ってきた。

それだけにその喪失は,
今原家の財政に取って大きな打撃となったのである。

情勢は,一気に美好方に味方するかに見えた。

ところが,またしても突如として事態は一変する。
天啓12年(1497),美好家でも,当主 重時が逝去したのである。

重時の後を継いだのは,彼の嫡男 重直(しげなお)であった。
彼はいまだ年若く,その手腕は未知数と言うほかなかった。