宗治の雄飛

馬淵氏は,美好家譜代の臣で,
頼忠は3代に渡って美好家に仕えてきた長老格の重鎮でもあった。

その発言力も非常に大きかったため,
美好家の当主権力の強化を図る重直にとっては,
煙たい存在でもあった。

結果,重直と頼忠の仲は年々,
険悪なものとなっていったという。

加えて,独裁的な重直は,
有力家臣を度々,粛清している。

「次は,頼忠の番では……」
という噂がまことしやかにささやかれるようになるまでに
そう時間はかからなかった。

頼忠が,保身のために謀反を起こしたとしても
不思議ではない状況ではあった。

とはいえ,頼忠が謀反に走った実際の理由は,
今もって定かではない。

しかも,頼忠の挙兵は,
周到さにかけているようにも見える。

協力者の姿が見えないのである。

そして,重直暗殺を,
馬淵氏単独による計画であることをいち早く見通したのが,
安達宗治であった。

宗治は,重直の嫡子 国重を奉じて馬淵討伐の兵を起こした。

こうなると大義は宗治の方にある。

美好傘下の多くの諸侯・領主が宗治のもとに集い,
その軍勢は5万を数えるまでになる。

他方,頼忠が集められたのは馬淵氏の兵のみであり,
その数は1万8千と宗治方に大きく劣っていた。

安達軍と馬淵軍は,睦城(むつき)の地でまみえたが,
結果は安達軍の大勝であった。

馬淵討伐の指揮を採った宗治は,
一躍,美好傘下における筆頭諸侯となる。