安達政権

宗治は,自身の実力と朝廷の威光をもとに政権運営を行う。
位階も官職も章仁帝の御名のもと,安達政権によって与えられるものとなり,
また実際の所領や職分に即したものとなった。

さらに,諸侯を安達政権への貢献度・血統を複合的に勘案して格付けし,爵位を与えた。

また,安達政権は,諸侯の領地についても加増や削減,移転,没収など,
ほぼ意のままに断行できた。

実際,松下の会戦の際,安達方の新名氏を攻撃した本田氏や,
同じく安達方の紗耶氏を攻撃した秦氏などは,戦後,所領を没収されている。

安達政権は,皇帝権力を背景とした帝国の復興を企図した。

結果として,身分秩序は厳格なものとなっていく。

従来,広奈国時代の首州や同時期の亜州では,
海西・海東や首北など先進的な地域では,身分制からの解放が興っていた。

寺内町などでは,宗教性に基づいた身分秩序の軟化が見られた。

また,社会一般でも,諸侯・士族・庶人など身分の区別はありながらも
身分同士の力関係は,均衡していく傾向があった。

つまり,庶人が一揆契約を結んで,
士族・諸侯に抵抗する事例も頻発していたのである。

無論,士族層も一揆契約を結んで,諸侯を牽制していた。

安達政権は,こうした社会の分権化を追認する形で制度設計をするのではなく,
過度の分権化を抑制する方向性を打ち出した。

広奈国は,惣無事令・兵農分離・相国検地などにより中間支配層が解体され,
安達氏による政権が,直接的に諸階層を統御する新しい封建制へと移行したのである。

それは,美好氏が海西で実施していた諸政策の発展形でもあった。

さらに,安達政権は,新たなる貿易国を迎えることにもなった。
フリギスの商人が来航し交易を求めてきたのである。

従来から,常盤に来航していたペルトナやイストラは,
フリギスへの敵愾心から,宗治に対して

「フリギス人は海賊である」

などと悪し様に吹きこもうとしたのであるが,
宗治は取り合わず,フリギス(後のレーヴェスマルク)との交易を開始した。

安達政権は,これ以後,リーフランドとも通交を開始するなど,
活発な貿易活動を行って,西洋からの文物や技術を本拠地である海西地方に蓄積していく。