家督相続

一条智綱の力を背景に実権を取り戻した高山利斉は若くして亡くなり,
またも,幼主が高山家を相続することになった。

利斉の長女 慶子(よしこ)を正室としていた梓にとっては,
この幼主は義理の弟である。

幼主斉英(なりひで)を補佐したのは,
高山氏にとって譜代の臣である本田斉清(ほんだ・なりきよ)であった。

かつて,岩倉氏がそうであったように,
本田氏も幼主を傀儡にして家中の実権を掌握していく。

岩倉氏は,花岡同盟の盟主 一条智綱の怒りを買って滅亡に追い込まれるが,
その智綱は,すでにこの世の人ではない。

花岡同盟も智綱に比肩しうる新たな盟主を得られずに衰退していた。

高山氏を下克上から守ってくれる勢力はもはや存在しなかったのである。

本田斉清は,斉英成人後も斉英に実権を返さなかった。

そして天啓6年(1491),斉清は斉英を攻撃した。

斉英が河本氏や蘇我日野氏と結んで本田氏打倒を図ったためである。

新名優はこの時,斉英のために,反本田の兵を挙げ,
本田氏の猛攻を受けることとなる。

「当家は,帝国(広奈国)の始め,
始元帝の股肱であった高山之斉(たかやま・ゆきなり)公に従って,
功を認められ,始祖の地とも言えるこの甘波を与えられたのである。

奸悪なる本田斉清を討ち果たし,今こそ主家の大恩に報いねばならぬ。」

新名優という人は,
心の底からこういう考え方をする人であり,
側近の唯暁広(ゆい・あきひろ)に勝算について追及され,
諌められても挙兵をやめなかった。

結局,斉英や優が頼みとした河本氏や蘇我日野氏は,
斉英の救援には消極的であった。

本田氏が,高田氏や香上氏,秦氏と結んで
河本氏や蘇我日野氏を牽制していたからである。

そのうえ,斉英は,同じ西軍諸侯である姫村氏とは疎遠であった。

斉英は,三島姫村氏を成り上がり者として嫌っていたのである。

結局,斉英は,本田軍に攻め滅ぼされた。

新名軍は本田軍に大敗し,傘下にある多くの領主の離反を招いた。

本田斉清は斉英の又従兄弟にあたる 斉尋(なりひろ)を高山氏の当主に据えた。

優は,挙兵に失敗して以降,病気がちとなり,
天啓13年(1498),ついに家督を嫡男の梓に譲って隠居する。

梓は,父を否定する言動を一切取らなかった

新名梓とは,そういう人であった。

新名氏は引き続き本田氏と対立する道を選択する。

本田氏に対抗するため,
梓は,斉尋を説得して疎遠だった高山家と姫村家の関係を改善させた。

天啓14年(1499),梓は自領 坂牧(さかまき)に攻め寄せてきた本田軍を,
姫村の客将 紗耶正信(さや・まさのぶ)との連合で撃退している。