三氏連合

広奈国内の情勢はめまぐるしく動く。

天啓20年(1505)に,美好氏を盟主とする東軍と
一条氏を盟主とする西軍が激突した鶴見の会戦があり,

翌21年(1506)には,東軍盟主 美好重直が暗殺された天啓丙寅の変が起きた。

そして,美好氏に取って代わった安達宗治が台頭してくる……

特に,安達氏の勢力伸長は,
新名氏を取り巻く環境に大きな変化をもたらした。

このころ,旧高山領国内は,
ほぼ四分の三を本田氏が制している状態であった。

残りの四分の一は,新名氏を始めとする反本田勢力であったが,
これらの勢力は依然として河本氏の庇護を受けていた。

その河本氏は,安達氏と抗争しはじめると,
後背地の安全を確保するために,
これまで,敵対していた本田氏,香上氏を西軍に引き込んで講和したのである。

ここに至って,新名氏は,本田氏と敵対する限り,
もはや河本氏の庇護を得られなくなってしまった。

梓は,

「本田になびいてしまっては,死して後,父に合わせる顔がない。」

として,河本氏ら西軍とは断交する道を選び,
安達宗治に進物を献じ誼を通じたのであった。

この梓の姿勢は,隣国の姫村氏と歩調を合わせるものでもあった。

姫村氏も,安達氏に属して西軍から東軍へと転じていたのである。

姫村氏の客将であった紗耶正信も,
天啓21年(1506)に河本家から沼原(ぬはら)の地を奪うと,
独立した群雄としての道を歩み始めていた。

天啓22年(1507),新名・姫村・紗耶の三氏は,
西国における東軍勢力として攻守同盟を結んだのであった。

とはいえ,本田氏が西軍に属したため,
新名氏は,新たに強大な敵を迎えることになった。

有帆日野氏である。

天啓23年(1508),本田・日野連合軍は,
新名氏と姫村・紗耶との連絡の遮断を狙って,
結川沿いの要衝 川島へ進撃してきた。

姫村・紗耶両氏も,新名氏を救援する。

3万を数える本田・日野連合に対して,
新名・姫村・紗耶の三氏連合軍は,1万6千程度であったというが,
新名軍の拠点である川島の守りは堅い。

このため,本田・日野連合軍は,
要地を占める三氏連合を攻めあぐねた。

両軍は,対陣一月余りの後,停戦を約して引き上げている。