小原崩れ

冴島氏を日野氏に対する防波堤とし,
梓は,結川流域を確保,いよいよ真秀川本流への進出を図っていた。

真秀川は,常盤一の大河であり,
首州を横断しその河口は内海に注いでいる。

しかも内海の東には亜州がある。

真秀川へ出ることは,
つまり常盤全土とつながる道へと打って出ることでもあった。

新名軍は,真秀川の要衝 吉羽(よしわ)への進出を企図し,南下した。

吉羽はかつて蘇我日野氏の支配下にあった土地である。

吉羽には,蘇我日野氏の旧臣もおり,
特に長老格である中川総政(なかがわ・ふさまさ)は,
主家を滅ぼした本田氏に従いながら,
主家再興の機会をうかがっていた。

嘉徳7年(1515),梓は,密かに総政と連絡をとる。

「私も本田の家に,主家を滅ぼされた身です。

かつて,本田は謀反人でしたが,その後,西軍にうまく取り入って,
高山候と蘇我伯(蘇我日野氏)の領国の領有を認めさせてしまいました。

かつて,花岡公が国の秩序を守るためにお創りになった西軍は,
今や,謀反を助長するばかりになっています。

もはや,西軍に頼ることはできないと思い,
私は東軍や志ある諸侯と結びました。

それは,父の宿願でもある謀反人の追討を果たすためでもありますが,
帝国に秩序を取り戻すためでもあります。

どうか,中川殿の力をお貸しください。

貴殿が蘇我の内より我が軍に呼応してくださいましたなら,
本田勢を東へ逐うことができます。

そうすれば,蘇我伯をお迎えして日野の家を再興できるでありましょう。

共に,戦いましょう。」

梓の密書を受け取り,総政は,新名家への内応を約束した。

ところが,総政の新名家への内応は,
吉羽の守将 片貝清寿(かたがい・きよとし)に露見してしまう。

清寿に屋敷を襲撃された総政は,
激闘の末に壮絶な戦死を遂げた。

甘波から南下し小原に進出した新名軍も,
本田方の伏兵に奇襲され,大破される。

世に言う小原崩れであった。