西国進出

西国諸侯が有間治久に敗れると,
梓は,敗戦の傷が癒えていない西国への進出を企図する。

西国制覇を考え始めた梓の脳裏には,
新名氏の始祖とも言える
古代の左末王 志賀や志貴の活躍があったかもしれない。

そして,新名軍の標的となったのは,有帆日野氏である。

日野氏は一条氏に救援を求めた。

清正5年(1534),日野氏と一条氏の連合軍2万5千は,
湾陰中部の要衝 大熊に伏兵を配して,
進撃してくる新名軍を撃破しようと目論んだ。

しかし,これを察知した梓は,
二手に軍を分けた。

一隊は自身と嫡男 志(しるす)の部隊。

もう一隊は,次男の匡(ただす)・
桐野暁良(とうの・あきよし)らの一隊である。

そして,匡・暁良の一隊を
日野・一条連合軍の伏兵に対する伏兵として山中に配した。

結果,日野・一条連合軍は,
新名本隊と新名軍の伏兵に包囲される格好となり
数千の戦死者を出す惨敗を喫した。

勢いにのる梓は,
日野氏にくみしていた小領主を傘下に加えながら,
日野氏本拠 有帆に迫る。

しかしながら,有帆は西国随一の大都市であり,
また屈指の防備を持っていた。

梓は,撤兵を決意し,
有帆に近い沓名(くつな)に桐野暁良を入れて守りを固めさせると,
甘波に引き上げていった。

清正7年(1536),日野氏は,
沓名の奪還を狙って大挙して押し寄せてきた。

梓は,紗耶氏に救援を要請し,
自身も沓名の救援に向かった。

ところが,紗耶氏の救援は遅れた。

紗耶氏は,すでにかつての小勢力ではなく,
京谷氏・平瀬氏・高田氏を立てつづけに下して,
河首道を制覇していた。

紗耶氏は,常盤で安達氏に次ぐほどの
強大な勢力となっていたのであった。

その紗耶氏の次の目標は,実は湾陰・湾陽であった。

梓も湾陰・湾陽制覇を目指していたから,
当然,新名氏と紗耶氏の目論見は両立し得ない。

新名氏による日野氏攻略を望ましく思っていない紗耶正信は,
わざと沓名への救援を遅らせたとも言われる。

梓は,沓名の地に固執して名将 桐野暁良を失うことを恐れた。

暁良は,梓の命に従い沓名から撤兵し,
大熊までやってきた梓の軍と合流した。

新名勢は再び日野勢と戦うこととなった。

とはいえ,今回は,双方が慎重を期して動かず,
決戦には至らなかった。

対峙ひと月あまりで両軍は停戦を約し,引き上げている。