諸国 イストラ

イストラは,レイア大陸の西端にあり,西はペルトナ,
北はサンセと隣接している。

地中海を挟んで南の対岸はテルメ大陸である。

15世紀に,神聖イリオン皇帝家 リンドグレン家が政略結婚の結果,
イストラの王位を手に入れた。

この後,イストラは勢力を拡大するペルトナに対抗し,
西回りでのサラス・華国到達を目指した。

イストラ国王 アレッサンドロ2世の援助を受けた
アメデオ・アウグストは,1432年,
リュイセ大陸の東方に浮かぶグラツィア島に到達する。

その後,アウグストは数度に渡り遠征し,
リュイト大陸を探索,また,他の航海者たちの情報を分析するに及び,
そこが自分達のまだ見ぬ大陸であることに気づく。

こうしてアウグストの到達したリュイト大陸南東部は,
彼にちなみアウグスタと命名された。

また,アウグストの後,
フォルトゥナート・スピネッリは,
1441年,リュイセ大陸の南にも
自分達のまだ見ぬ大陸があることを見出す。

こちらは,スピネッリにちなみ,スピネラ大陸と呼ばれる。

熾烈な勢力争いをくりひろげたイストラとペルトナの両国は,
リーフランドやレーヴェスマルクなど諸国が海外進出に乗り出すと,
これら諸国に漁夫の利をさらわれることを恐れて協調をはかりはじめた。

1434年,両国は,教皇の仲介によりアルメ条約を締結,
勢力圏の画定を行った。

その後,イストラ王国は,
リュイト・スピネラ両大陸で産出される豊富な金銀を狙い,
リュイトのリュイト帝国,スピネラのトナテコ帝国を侵略した。

リュイト人は,山岳部や北部の大河パミュセ川北岸に拠って抵抗を続けたが,
トナテコ帝国は,1473年に,イストラ人に滅ぼされてしまった。

さらに,イストラは,西回り航路の開拓を進める。

アレッサンドロ2世の後継者 テオドロ1世
(神聖イリオン皇帝としてはテオドル3世)は,1459年,
マヌエーレ・フォルテに香辛料の産地として伝えられる
カタラ諸島への遠征を命じた。

フォルテ艦隊は,大西洋を南下,
スピネラ大陸とリュイセ大陸の間を通過して,カタラ諸島に到達する。

フチ王国の歓待を受け,莫大な物資を得たフォルテ艦隊は,
カタラ諸島を出航するとその後,
南洋を西へ進んで1年をかけて1461年にイストラ本国に帰還,
世界周航を果たしたのだった。

このころ,イストラのライバルであるペルトナの勢力は,
常盤群島に達していたが,そこは,アルメ条約に定められた
イストラとペルトナの勢力界でもあった。

結果として,常盤群島には,ペルトナのみならず,
イストラの船も頻繁に来航するようになっていった。