諸国 信朝

13世紀初頭に興った,華国の歴代王朝の一つである。

アリア大陸東部の広範な地域を指して「華国」と呼ぶ。

華国にダシュ人が建てた玄朝は,
12世紀末,権力闘争と経済政策の迷走などにより,衰退,
統治力を低下させていた。

こうした中,大規模な農民反乱が勃発する。

1293年の班乾奇(はん・けんき)の乱である。

農民軍の中から頭角を表した辛格(しん・かく)は,
江水一帯を制圧すると,1301年,信朝を建国して皇帝に即位(大統帝),
玄朝打倒のため,北伐を開始した

信の北伐軍が,玄軍を破ると,
玄の勢力は,都 真都を放棄してダシュ地方へ撤退していった。

その後も,信朝とダシュ人の抗争は続き,
大統帝は,次男 辛英をダシュ人に対する備えとした。

1321年,大統帝が崩じるが,その後継であった建興帝は,
弟 辛英を信任してダシュ人の遠征に当たらせた。

辛栄はその期待によく応え,幾度もダシュ軍を打ち破っている。

建興帝が崩御すると,その子 顕徳帝と辛栄は対立するに至る。
1344年,辛栄は顕徳帝を破って即位した(永泰帝)。

永泰帝は,即位時,すでに54歳であったが,
長寿に恵まれ,なお20年在位する。

建興帝以来の対外積極策を継続し,ダシュ高原へ親征,
さらに,南洋へ鄧瑞(とう・ずい)の大艦隊を派遣して朝貢を求めている。

しかし,永泰帝の崩御後,
財政難から莫大な資金を必要とする大航海は控えられ,
信朝は海禁政策を採るようになる。

永泰帝の後継者 光和帝は,版図拡大より,
国内の安定に主眼をおく政策を採った。

その治世は「光和の治」と称され,
史家に信朝の全盛期とも評価される。

15世紀の末から16世紀には,
勢力を盛り返したダシュ人や,海賊の寇略など
信朝は,外患に悩まされることとなった。