諸国 リュイト

リュイト大陸は,16世紀初頭には中部から南部にかけての大部分がイストラの植民地となっていた。

リュイト(北部音ではリュイセ,中部音ではロイツ)は,「美しい人」を意味する古代リュイト語
「エリュピティ(Elypiti)」を語源とする。

この「エリュピティ」という語は,
中期リュイト語においては,語頭のE音が脱落し,語中のP音がF音に変化,
「リュフィト(Lyfit)」と発音されていたようである。

これが後に,F音が脱落して南部音の「リュイト(Lyit)」となり,
北部ではさらに語尾のT音がS音に変わって「リュイセ(Lyise)」となり,
中部ではy音が初めu音に,やがてo音となって,
語尾のT音もTs音となって「ロイツ(Loits)」と発音されるようになったと見られる。

中世リュイト帝国は,リュイト大陸西半を領し,
最盛期には,推計人口4000万に達する超大国であった。

15世紀から,イストラ人の侵攻を受け衰退,
各地で皇族に率いられた残党が帝国の復興を目指した。

中でも,大陸北部の湿原に拠る,アルタメセル家,
大陸中部の山岳に拠る,フィルメリス家が有力であり,
両者が連携してイストラ人に対して抵抗を継続していた。

16世紀,アルタメセル家のリュセリーク帝の時代にリュイト人は,
常盤人の支援を借りて大陸の西半を回復した。

しかし,この近世リュイト帝国は,
アルタメセル家を盟主とする領邦の連合体であった。

17世紀後半には,権力闘争が激化して,
派閥ごとに都合の良い皇族を皇帝に奉じる事態が生じる。

1696年,皇帝ユティーヌ3世が臣下に弑殺される事件が起こる。
17世紀後半の権力闘争の日常風景に思われたこの事件は,しかし,
リュイト世界を新しく変えた。

ユティーヌ帝の甥 エクール・ニーナメリス・アルタメセルは,
ニーナメリス・アルタメセル家の軍を率いて伯父の仇を討った。

エクールは,ユティーヌ帝の息子 イゼーに請われる形で皇帝に即位する。

ところが,エクールは,自身の反対勢力を討伐した後,
イゼーに中部リュイトを譲って,
自身は,ニーナメリス家領である北部リュイトのみを統治するようになる。

帝国には分割統治が導入されたのである。

エクール(エクール1世)が在世の間は,
ニーナメリス家の影響力は,リュイト世界全域に及んだが,
エクールの息子以降の代になると,
ニーナメリス家は完全に中部リュイトへの影響力を進んで放棄し,
ニーナメリス家領の統治に全力を傾けた。

なおも領邦国家の連合体とも言える体制を色濃く残す中部リュイトと,
中央集権的な体制に移行していた北部リュイトとを
統一的に支配することが困難だったからである。

こうして,エクール1世の後,
全リュイト世界を支配するものは二度と現れなかった。

やがて,市民階級が台頭すると,中部では革命によってアルタメセル家の支配が終わり,
連邦制・共和制の国家へと移行した。

他方,北部では,ニーナメリス家を皇帝家としながらも,
皇帝は,君臨すれども統治せずを旨とする国家の象徴となり,
帝国は立憲君主制へと移行してゆく。