西討

天啓22年(1507),紗耶・姫村・新名三氏による連合が成立した。

三氏は,そろって安達宗治のもとへ使者を遣わして,進物を献呈している。

さて,正信が狙う河首道には,秦氏・高田氏などの西軍諸侯が存在し,
東軍の平瀬氏や京谷氏と争っていた。

しかし,両湾・河首など西国は,西軍勢力の強い地域であった。

平瀬氏は,主に北の高田氏と対峙し,
京谷氏は,南の秦氏と相対していたが,

平瀬・京谷両氏は,互に連合することで後背の安全を保ち,
天険に頼ってやっと前面の敵に対抗しているという状態であった。

両氏は,河首道に接する紗耶・姫村・新名三氏が連合して東軍に属すると,
これ幸いとばかりに,三氏と接近を図り始めた。

嘉徳2年(1510),正信は,平瀬・京谷両氏と連合した。

正信の当面の目標は,白石(しろいし)攻略である。

白石は,要地である。

河首道の東の境は,山脈――

真秀川より北は,遊井山脈,
南は,白岳(しらたけ)山脈と呼ばれる。

山脈を突っ切って西から東へと流れる真秀川がちょうど,
河首道と外部の連絡路のようになっている。

白石は,この真秀川大渓谷沿いにあり,
河首道の東の入口ともいうべき場所であった。

さらに,白石の北西には,小規模な渓谷もあり
この渓谷は,京谷氏の領国へと通じていた。

「白石は堅牢です。いきなり攻め落とすことはできません。

まずは,周辺諸城を攻略して白石を孤立させましょう。」

広真の進言に,正信は頷いた。

紗耶方による秦領内への調略が激しくなった。