河首道制覇

遊井地方には,高田氏が残っていた。

清正7年(1536),正信は,藍原広真から

「高田氏に遊井を保つだけの力はもはやありません。出兵を」

と促されると,自ら兵5万を率いて遊井征伐を開始した。

高田方は,小郡の敗戦で衰弱しており,
家中には紗耶方への降伏論も出ていた。

しかし,高田家中で影響力の強い,
森沢長治・長靖兄弟の主戦論が押し切る形となった。

森沢兄弟は,父 長友を小郡で討たれている。

高田氏は大神氏より援軍を得て,総勢1万8千,
遊井地方の南の入口とも言える遠久保まで打って出て紗耶勢に備えた。

大神勢を率いる雨森余一(あめもり・よいち)は,西国に名高い驍将で,
高田勢の森沢隊も復讐戦に燃えて士気は高かった。

要地 遠久保を占める高田・大神連合を紗耶勢は,攻めあぐねた。

正信は,
二度の総攻撃が失敗すると,撤退を開始した。

だが,これは遠久保から高田・大神連合をおびき出す偽装であった。

紗耶勢を追って出てきた高田・大神連合は,
紗耶方の伏兵の襲撃をまともに受けて大破された。

雨森余一は,血路を開いて落ち延びたが,
森沢兄弟は,北田泰政隊の突入を受けて壮絶な戦死を遂げる。

紗耶軍は,遠久保を占領した。

高田家当主 元義は,紗耶方への抵抗の不可能を覚り,
重臣 平戸吉充に勧められて遊井を開城,浜道(はまじ)地方へと落ち延びていった。

正信は,遊井地方を手に入れ,河首道全域を統一したのである。