日生国 貴族の性格と爵位

中世日生国では,貴族封建制が全盛期であった。

とはいえ,各務国末期から広奈国初期にかけて,
首州の遠征軍と長期に渡る抗争を戦い抜いた結果,
日生国の「貴族」は統合が進み,また多分に「武家化」していた。

「尚文(文事を尊ぶ風潮)」から「尚武(武事を尊ぶ風潮)」へ――

これがやがて再び太平の世となって,「文武両道」へと移ってゆき,
万能の才に憧れる風潮が出てくる。

さて,日生国の貴族共和制の中核を担った貴族各家は,
厳密な格付けに基づく爵位を保有した。

爵位は,上から順に

玉爵
公爵
侯爵
伯爵
子爵
男爵
名爵
夫爵
士爵

の九等爵である。

「公」の上が,「王」ではなく「玉」であるのは,
日生国がもつ「帝王」への拒否反応が関係しているのではないかと,
信じる向きもある。

しかし本当に「帝王」への拒否反応が
「玉爵」の名称に影響しているかどうかについては,
定かではない。

名爵以下は,貴族でなくとも,
国家に貢献した庶民にも与えられた。