南勢を潰滅できなかったとはいえ,
府中方には勢力挽回の機会が訪れた。
府中方に取って頭が痛かったのは,戴くべき「十和宮」がいないことであったが,
これも,英成王の叔従父にあたる成延という人物を担いで「十和宮」とすることで凌いだ。
いよいよ府中の船岡義堅が攻勢に出る番であり,
将軍位の統一を狙って,南家の版図へ侵攻してきた。
府中勢の攻撃にさらされる事になったのは,
英成王の拠る十和であった。
十和は,高屋川西岸の要衝であり,
山内の入り口とも言える場所であった。
天爵22年(1473),
船岡義堅は,1万5千を率いて高屋川を渡り,
十和を望む吉和川河畔の室岡に陣を敷いた。
英成王は南家の敬和に援軍を仰いだ。
未だ加冠前であった昭成王子であるが,
「今,当家は危急存亡の時です。
どうか,軍に加えてください。」
と英成王に懇願し,許可を得てついに初陣を迎えることとなった。
南勢は,先手の国木和資(くにき・かずすけ)・永富和正が,突出,
吉和川を渡河して室岡の府中勢に襲いかかった。
ところが,これは先の府中攻囲戦の雪辱を果たそうとする余りに生じた,
両将の勇み足であった。
始め府中勢を押していた国木・永富らは,執拗に相手に追いすがり,
そのために敵の懐深くに誘い込まれた形となった。
結果,包囲攻撃を被った南勢の先手は壊滅し,国木・永富両将は,
戦死してしまった。
緒戦で完勝した府中勢であったが,
日が落ちた後,十和・南勢の第二波の攻撃に遭遇する。
府中勢は,この夜襲に大混乱となり,
当主の船岡義堅を討ち取られ,潰走を余儀なくされた。
船岡本宗家は,この敗戦によって急速に衰退,
傘下の重光義忠(しげみつ・よしただ)が台頭する。
重光氏は,船岡家当主を傀儡化して,
やがて,船岡家を乗っ取ってしまうのである。
十和宮家は,危機を免れたのであり,
昭成王子も初陣を勝利で飾ったのであった。
