十和防衛戦

南勢1万8千は,十和に攻め寄せた。

十和方は,本拠を固守する。

押井氏や温岡氏,布施氏ら十和派諸侯らも,
十和救援を決定して軍を進発させた。

救援到着まで,十和方は総勢2千で持ちこたえ無くてはならない。

さらに昭成王は,十和宮家の菩提寺たる安正寺に赴き,
賢人として名高い覚信という僧を訪ね,

「私は,瑞穂の帝の血を引く者です。

天下をあまねく治め,安んじた帝室の末なのです。

私は,それをただ誇りに思うだけではなく,今の乱世を鎮めて,
帝室の末として恥ずかしくない大業を成し遂げたいと思っております。

しかしながら,私は非才で,この度もただただ右往左往するばかり。

どうか,貴方様のお力をお貸しください。」

と,辞を低くして協力を求めた。

覚信は,

「まずは,今の困難を乗り越えましょう。私を北方(きたがた)へお遣わしください。
春田家や督(かみ)家と結べば,南家を南北から挟撃できます。

春田・督両家は,先の南家の継承争いの際,熾和と対立する和盛を推しており,
それ以前にも,しばしば南家との間で境を争っております。

利害を説いて参ります。」

と進言した。

昭成王は,覚信を北方へ遣わした。

北方とは,亜北の西北地域の事を指す。

北方随一の港湾 長瀬には春田氏がおり,北海交易で繁栄しており,
北方西岸では,督氏が,内海交易で利をあげていた。

覚信は,これらの諸侯を説得し,
南家の領国へと侵攻させることに成功した。

さて,南勢の総攻撃を被った十和では,
昭成王の股肱 里見泰之の働きが目覚ましかった。

南勢の十和攻撃軍を押し戻すと,
機を見て再三,寡兵で打って出て,
南勢を恐慌状態に陥れた。

南勢は泰之を「鬼夜叉」と呼んで畏怖した。

南勢は決定打を欠いたまま,
十和を攻めあぐね,
十和派の十和救援軍を迎えることとなり,
さらに春田・督両氏の本国侵入の報に接する。

ここにおいて,南勢は,
撤兵を余儀なくされたのであった。