石岡攻略

十和家の勢力圏は,
今や高宮家本拠 長山の最終防衛線にまで迫った。

ここにいたり,昭成王は,
長山の最終防衛線となっている拠点の中でも
その中核とも言える石岡を攻撃した。

高宮方の士気は低かったが,
石岡は堅牢であり,よく十和勢の攻撃に持ちこたえた。

また,この頃になると,勢力拡大を続ける十和宮家に対して,名和国宮廷が危機感を抱き始めた。

瑞穂皇帝の血筋を受ける十和宮家が名和国を凌ぐ力を持つようになると,
「皇帝の代理」として名和平原を治める名和国は,その存在意義を脅かされるからである。

鷲尾家は大軍をもって,高宮家を救援する動きを見せた。

昭成王は,

「今や,将兵は疲弊し始めている。
鷲尾の新手を相手にするのは厳しいであろう。」

と,撤退を検討し始めた。

しかし,早智秋は,

「高宮綱豊は,石岡の救援を従弟の豊貞に任せきりで,
自身は長山に籠ったまま遊興に耽っています。

結果,高宮軍は,全体として士気が上がっておりません。

当事者が無気力であるために,
高宮の友軍である鷲尾勢も石岡の救援に積極的になっていません。

石岡はあと一押しで落ちます。」

と昭成王を励ました。

まもなく,石岡の将の一人,野中氏元が十和方に寝返った。

氏元の手引きにより十和勢は,石岡になだれこむ。

十和軍による石岡占領の報を受けて,
鷲尾軍は,本領へ帰還していった。