昭成王は,早智秋・里見泰之を率いて,
長山を進発,鷲尾勢に対処する構えを見せた。
留守は東条誠久が預かった。
高い行政手腕を信頼されてのことである。
旧高宮領などは,前年に十和家領となったばかりであったが,
誠久は,よく昭成王の信頼に応えてその留守を守った。
大康24(1497)鷲尾文俊は,
猛将 桐島景宏・菊川俊継,水軍の将 高木景矩らを率い,
三万の兵を擁して十和領の久慈を攻撃する。
久慈は名和平原北方の穀倉地帯をおさえる要衝で,
高屋川の水上交通網から見ても主要港湾の一つである。
昭成王は,早智秋の言を採って,軍を囮と主力に分けた。
さらに,智秋自身が早水軍を率いて鷲尾勢の背後を撹乱する。
十和軍の囮部隊は,西井元孝・八幡元彦で,
久慈救援の主力は,里見泰之・泉忠映であった。
泉忠映は,丙辰の変で,大康王とともに鷲尾文俊に討たれた
泉義映の子であり,復讐戦に燃えていた。
鷲尾軍の先手 桐島景宏は,囮部隊の陽動につられて,
突出し西井・八幡隊を攻撃した。
西井・八幡隊を押していた桐島隊であったが,
里見・泉隊の強襲を受けるとたちまち潰乱し,
景宏自身も里見隊に討ち取られることとなった。
さらに早水軍も,鷲尾水軍を破って,高屋川東岸に上陸,
鷲尾軍の側面を攻撃して大勝を博した。
この事態に鷲尾文俊は,ついに久慈の攻略を諦め,
退却を決める。
鷲尾軍の殿軍を引き受けた菊川俊継は,
十和軍の追撃を受け,成晴に討たれた。
十和方の完勝であった。
