天佑の変

天佑5年(1502),
天佑王の王后の実家 三枝家は,
天佑王の復権を目指して
畿内の寺社勢力を抱き込み,昭成王の排除を図った。

天佑の変である。

寺社勢力の中心 開成寺は,
鎮護国家を担う寺院として強力な政治的影響力と僧兵を持っていた。

その名の通り,開成年間に開山したが,
開成年間とは,名和国の初代国王 開成王の治世にあたる。

また,直堂派名和門徒も一揆を起こした。

後に安達宗治に敵対する首州の直堂派に属する集団である。

名和門徒の根拠地は,
名和平原東部の高屋川の中洲にある川島御坊であった。

寺社勢力は,三枝家の目的に賛同して蜂起したわけではなく,
昭成王が,入京以来始めた寺社統制に対しての反発から蜂起したのである。

昭成王は,天佑王への譲歩を言い出したが,
早智秋は,

「今や,畿内の寺社は,自らの利のために
命のやり取りをするような破戒僧の集団です。

彼らに大義などなく,恐れる必要は有りません。

さらに,当家に敵対する勢力は,国内では彼らと山奈広康くらいです。

広康は,先の長津失陥から立ち直っておりません。

つまり,寺社側に援軍はないのです。

粛々と兵を進めるならたやすく打ち破れましょう。」

と言った。

昭成王は,智秋の進言を受け,容赦なく開成寺を攻め破り,
また,直堂一揆の畿内への侵攻を撃退して,
孤立無援となった三枝一族を粛清した。

天佑王の后も計画に加担したとして廃され,連座して処刑される。

名和門徒は,堅牢な川島で抵抗を続けたが,
十和軍の包囲を被ることとなった。

ここに,天佑王は完全に孤立したのであった。