即位

諸侯・諸臣は,

「本来,名和国王は,
特別の事情によって帝室の代理としてこの地を治める者です。

今や,天意を受け,
名実ともに帝室を継承されるべきあなた様がおいで遊ばす以上,
名和国王はその権を奉還して退位すべきです。

何卒,あなたさま御自らご即位遊ばされ,瑞穂の国の再興を宣されて,
社稷を安んじくださいますようお願い申し上げます。」

と昭成王に皇帝即位と瑞穂国の再興を推めた。

ここにいたり,天佑7年(1504),
昭成王は即位,瑞穂国の再興を宣言して,
元光の元号を建て,後世,「元光帝」と称される。

「元」の字には,「始め」の意があり,
「光」の字には,「業績を受け継ぐ」という意がある。

つまり,古代の瑞穂の「業績を受け継ぐ」事業を「始め」る
という意味の元号である。

正室 明子は皇后となり,
皇太子には,皇后 明子の産んだ長皇子 頼成皇子が立てられた。

ちなみに元光帝には,側室がいない。

皇太子 頼成皇子,次男 安成皇子,三男 重成皇子,四男 熙成皇子の四皇子と
三皇女は,いずれも皇后 明子との間に生まれている。

一方で太子 頼成には,この時すでに正妃の他,多くの側妾があった。

名和国の天佑王は,政権を返上して退位し,
改めて元光帝から公爵として封建されている。