第二次久香崎会戦

綾朝軍は水陸六万,久香崎を攻撃した。

その軍は元光帝自らが率い,帝の三男 重成皇子・早智秋・里見泰之・泉成晴・十和成俊・
西井元孝・八幡元彦・上村晴世・市村時足らが従っていた。

湯朝は,稲森義興・火取並・内頼久・堀川優(ほりかわ・すぐる)が久香崎に籠っていた。

久香崎は紗摩川と大内川の合流点にあり,
面積としては小規模だが湊と水塞を取り込むむ形で総構が作られている。

むしろ,面積が小規模であるため湯朝方の兵力が5~6千程度であるにもかかわらず,
久香崎の守りは行き届いていた。

早智秋・市村時足らの綾朝水軍と火取並・内頼久らの湯朝水軍の
紗摩川での戦いも膠着状態であり,
大内川の渡河を狙った里見・泉・上村隊の動きも堀川優に看破され阻止される。

久香崎での対陣は持久戦となった。

この間,山奈広康は,外城政貴を電撃的に打ち破って敗走させた。

政貴は,本拠 両城への帰還途中に配下の久谷定平の裏切りにあい討ち取られてしまう。

ここにいたり政貴の嫡子 清貴は広康に降伏した。

広康は,そのまま急峻な槌山を越えて久香崎の救援にやってきた。

槌山を避けて棟谷経由で久香崎を目指せば,
比較的整備された街道を進めるが,
この道は一旦,久香崎と反対方向に大きくそれる回り道になる。

槌山を越える道は,久香崎に一直線に進む最短距離の道である。

広康は,元より機動戦が得意であり,この時も綾朝方の予測を上回る速度で,
久香崎に現れ,その防御を一層固めた。

結局,広康が綾朝方に持ちかけた和議が成立し,
綾朝軍は,引き上げたのであった。