意志

日生軍が,久礼沖海戦で緒土軍に敗れると
首脳部は,あっさりと伯台(はくたい)への遷都を決定した。

当時,総攬は,すでに成瀬熙子から代替わりして,
入島神聖の父 伯台神聖(はくたいのしんせい)になっていた。

伯台に居所を定めた神聖であるため,伯台神聖と称するのである。

香耶玉爵家の義治は,

「聖祖四十世の築かれた千年の都をむざむざと明け渡すことは有りません。」

と主戦論を唱えたが,他の玉爵家は成瀬繁直を筆頭に

「今は落ち延びて再起を図るべき」

という考えであり,結局,伯台神聖は,遷都を選択したのである。

聖祖四十世とは,四十世総攬 久礼神聖(くれのしんせい) 美慈(よしちか)のことであり,
久礼神聖時代から「神聖号」が始まったために神「聖」の「祖」という意味で
「聖祖」と称されることがある。

さて,遷都の決定は,緒土国側を勢いづかせた。

緒土国は,日生側の久礼防衛の意志は弱いと受け取ったのである。

その上,久礼の内部でも本当に士気が著しく低下してしまった。

「都」の地位を失ったことが原因である。

久礼は,陥落した。

聖祖四十世の25年(395)以来,千百年,繁栄を誇った国都の喪失――

入島神聖は,都落ちする都人の中にいて,久礼陥落の報に接した。

数え六歳だった。

千年の都を建て,数多の業績を挙げて神聖の称号を得た 祖先である聖祖。

千年の都を失った父 伯台神聖――

後に入島神聖は,

「都落ちが無ければ,私は総攬を志していなかっただろう。」

と語っている。