加冠

神聖家領内では名君であった伯台神聖も,国政では突破力がなかった。

国政の改革を志しながらも,大抵の場合,
数々の政策は骨抜きになっていった。

直轄領の軍制改革・兵装の更新も,
保守諸侯の抵抗に遭う。

諸侯は,政府の強大化によって自己の権益が侵されるのを嫌ったのである。

財政強化も頓挫する。

政府財政の再建のため,倹約令を出して緊縮財政を進め,
合わせて諸侯に国庫への資金の拠出を求める連帯金制度を始めたが,
諸侯の激しい反発を受けることになった。

結局,久礼半島の要衝 桃生が緒土国によって陥落したこともあって
政権の責任を問う声が高まり,連帯金制度は凍結された。

伯台神聖は,政策立案において参謀役であった議政 白石吉成を辞職させざるを得なくなった。

議政とは,首相のような存在である。

この後,伯台神聖の御代に,
改革派が議政の地位に就くことはなくなった。

政権内の保守諸侯の力は強く,
伯台神聖は改革派の任用を断念せざるを得なくなったのである。

百二十八世15年(1505),
伯台神聖の聖太子であった入島神聖は,加冠を終え,元老院議員となった。

入島神聖は神聖家領内で,有力者の懐柔を進め,
さらに元老院内では,平民議員および改革派・中立派議員と密かに連携を進めていく。

百二十八世19年(1509),入島神聖は,
中立派の有力諸侯 深町広平(ふかまち・ひろひら)の娘である琴子を
正妃に迎えた。

深町家を通じて神聖家は,中立派領袖である浅宮家とつながった。

深町広平が浅宮家の外戚だったからである。

入島神聖は,父に代わって神聖・総攬となろうとしていた――

しかしまた,入島神聖は,

「日生人(ひなせびと)として,神聖家の者として誇りある方法で,総攬になる。」

とも決意していた。