選挙

百二十八世総攬 伯台神聖は在位20年を迎えようとしていた。

総攬が神聖家・六玉爵家の当主による順送り人事で決まるようになって以来,
総攬の在位期間も慣習的に最長でも20年と定められた。

百二十八世は,総攬から引退しなければならない。

総攬順送りの慣習に従えば,伯台神聖の次は,有馬玉爵家が総攬を出す番であった。

総攬が引退すると新総攬選出の選挙が元老院で行われるが,
もはや,形式的な選挙になっている。

けれども,総攬順送りの慣習は,明確に規定された制度ではない。

入島神聖は,

「総攬選挙を本来の姿に戻す」

と従前から密かに考えていた。

形式化した選挙では,総攬に立候補するのは一人のみで,
対立候補は立たない。

しかも,立候補したその一人は必ず,総攬に選出される。

入島神聖は「対立候補」となり,
元老院議員の過半数の得票を得て総攬に選出されることを企図したのである。

そのために,改革派議員のみならず,
平民議員や中立派議員との連携を進めていたのであった。

入島神聖は,平民派には,選挙区改革を切り出して連携の糸口とした。

元老院議員の選挙区は,
この時代,神聖家・玉爵家・諸侯らの領国に有利に区割りされており,
平民派議員が選出される政府直轄領の選挙区数は,
その人口に比べて少なく設定されていた。

平民派にとって,選挙区改革は悲願であった。

また,平民派領袖 吉見敏景は,入島神聖と同年代と若く,
日生国の衰退を憂える人物でもあったから大いに入島神聖と同調した。

そして中立派諸侯と入島神聖は,
商業・物流政策において利害が一致するところが大きかった。

神聖家領は内海沿岸に多くの所領を持ち,商業・流通が盛んで,
中立派諸侯は,国内流通の中継点と言える芳野川沿岸に多くの所領を持っていた。
神聖家が商業・流通を自由化すると,その利益は中立派諸侯の領国にも波及する。

ことに,中立派領袖 浅宮顕臣は,
最もその恩恵に預かる芳野川沿岸の遊良湊(ゆらみなと)を所領内に抱えていた。

顕臣は,入島神聖と考えは異なる部分もあったが,
日生国の衰退を憂えるところでは共通していたから

「全力であなたを支援いたしましょう。」

と,派内の取りまとめを約束した。