改革と反発

総攬となった入島神聖は,
議政には,中立派諸侯 浅宮顕臣・改革派諸侯 香耶義治,平民派 吉見敏景らを任じて
均衡をとる人事を行った。

しかし,実務を担う参議の地位は,その定員を増やして増員分には,
聖族の千楽真季(せんらく・さねすえ)
や姫路澪子(ひめじ・みおこ),
平民派の川崎桐子(かわさき・きりこ)ら改革派を据えている。

均衡と改革の両立を図ったのである。

新政権は,
冗官の整理から始める。

貴族子弟が俸給を得るためだけに設けられていた,
実態のない政府の官職は,ことごとく廃止された。

保守諸侯の大反発が起こったが,入島神聖は,
元老院において冗官整理令を過半数の支持で成立させる。

もちろん,政府派の諸侯やその子弟は,
「実態ある」政府の役職を得て,その俸給を受け取った。

しかし,従来のように,
諸侯が独立性を保ったまま政府からも俸給を得るという状態ではなくなる。

入島神聖が政府権限の強化を進展させていくと,
政府から俸給を得る諸侯・貴族は,
俸給の適正な支給を口実とした政府の干渉を受けることとなり,
徐々に官僚化が進んでいく。

「政府の役職」には,「軍」の役職も含む。

入島神聖は,百二十九世2年(1511),
政府直轄領の防衛力強化のため,
軍人育成機関を創設し,兵員の増加も図った。

長期に渡り政府の冗官に頼ってきた諸侯・貴族は,
新制度の下で一族・郎党のすべてを自力で養うことはできず,
諸侯・貴族の兵力は,徐々に政府指揮下の軍に編入されていった。

冗官の整理と諸侯兵力の政府軍への編入は,日生国立て直しの第一歩である。

もとより,冗官に不要な俸給を支払い,
その上,直轄領の軍事力を養おうとする無理が
財政を圧迫させていたのであるから,
その解消は,当然,日生国財政の健全化をもたらした。

入島神聖はまた,任官試験を大規模に導入して,
民間の人材の任用を積極的に実施している。

さらに百二十九世3年(1512),入島神聖は,平民派に約した
選挙区改革に手をつけた。

選挙区を人口に基づいた区割りに修正したのである。

結果,政府直轄領選出の議員が増加し,
政府権限の強化につながっていく。

立て続けに不利益を被ることになった保守諸侯の多くは猛反発し,
ついに,百二十九世4年(1513)には,
東国を中心に大規模な反乱が発生した。

癸酉(きゆう)の乱である

この事態に入島神聖は,

「彼らは,自ら正統性を捨てた。」

と,かえって大笑したという。