癸酉の乱

直轄領東部の要衝 岐閣(きかく)を出た政府軍は,
成瀬家の本拠 当谷を目指して北上した。

岐閣――

この変わった地名は
元は鬼角と書いた。

鬼にまつわる伝説のある土地である。

やがて文人貴族文化全盛の9世紀頃に,
「鬼角」の文字のおどろおどろしさを嫌った
政府が「岐閣」と文字を変えたという。

さて,保守派は,当谷への政府軍の侵攻を阻止すべく,
朝香へ進出し,当谷街道を横切る形で布陣した。

数で勝る政府軍は,保守派の軍の中央に突入する。

保守派は,政府軍を包囲殲滅しようと企図していた。

しかし,寄り合い所帯の保守派の軍には,
政府軍を包み込むまでの機動力がなかった。

保守派の軍は,薄く横に広がった状態のまま,
ただただ中央を分断され,粉砕された。

成瀬政直は,剃髪して入島神聖の元へ出頭し,降伏する。

「戦で政府を打倒しようと図った保守諸侯の行為は,
大罪である。

これを赦せば,悪しき前例をつくることになる。」

と入島神聖は,保守諸侯への厳罰を実行しようとしていた。

特に,成瀬政直以下,
保守派の玉爵家については当主の処刑まで考えていたという。

しかし,中間派である浅宮家が
難色を示した。

このころ浅宮家は,顕臣からその子の政臣に代替わりしている。

政臣は,保守派の没落によって,元老院で
改革派の力が極端に強くなることを嫌った。

政臣は,顕臣の方針を継承して入島神聖に協力する意志を持っていたが,
改革派の必要以上の勢力拡大は,
日生国にとって危険であるとも考えていたのである。

浅宮家の力がなくては,
元老院で過半数を確保できなくなる。

入島神聖は折れ,
成瀬・有馬・八神・乙矢ら保守派玉爵家当主の処刑は思いとどまった。

とは言え,これら玉爵家は,
所領を削られ,当主の交替も余儀なくされる。

癸酉の乱は終結した。

保守派の軍事力は,半減したのであった。