成果

香耶義治と長年対峙してきた老将 綾部素信(あやべ・もとのぶ)は,

「志路(しじ)に布陣して,日生を迎え撃つのが良いでしょう。」

と主将 折原史広に進言した。

志路は,海に面した隘路である。

香耶義治の本拠 香耶野から,桃生に至る
街道の要衝と言える。

史広は,しかし,素信の意見を採用しなかった。

海軍力の強い日生軍を迎え撃つのに,
海に臨む志路に布陣するのを嫌ったのである。

海より内陸に入った平原 北原で日生軍を迎え撃つことにした。

日生の陸兵が志路を通るのを見過ごし,
日生の水軍と連携が取りにくくなる内陸におびき出そうというのであった。

緒土国の動きを知った香耶義治は,

「私も随分と見くびられたものだ。

我が国を水軍だけと思うのか。

思い知らせてやろう。」

と,北原に進んだ。

海上を行く入島神聖は,久礼半島沿岸の島嶼部を次々と占領した。

国産の洋式砲を積んだ艦を少数とはいえ保有する日生水軍は,
島嶼部におかれた緒土国側の拠点に激しい砲火を浴びせた。

無論,この時代の砲弾は炸裂弾ではない。

しかし,それでも緒土国の兵船を転覆させ,
沿岸部の城塞の壁を貫通させ,
その軍を恐慌状態に陥れるには充分であった。

北原では,香耶義治が緒土軍を大破した。

日生軍は,機動力に優れ,平原である北原で素早く展開して
緒土軍を包囲殲滅したのである。

綾部素信は重傷を負い,主将 折原史広は戦死した。

しかし,日生軍の遠征は中断された。

綾朝による緒土国救援軍が桃生に到着したからである。

日生軍に呼応して綾朝に侵攻した湯朝の山奈広康であったが,
直後に湯朝国内で反乱が起こり,満足に綾朝を攻撃できなかった。

綾朝は,このため緒土国の救援に全力を傾けることができたのである。

桃生の兵力が倍増したことを知ると,入島神聖は,
首都 伯台への帰還を即断した。

占領した志路・北原の防備は増強され,
香耶義治が預かった。