北伐再開

百二十九世6年(1515)には,もうひとつ大きな出来事が起こった。

安達宗治の亜州遠征である。

入島神聖が緒土国へ遠征し,亜州諸国が反目し始めたことは,
宗治にとっては,亜州に足がかりを得る好機と映ったのである。

安達家は,緒土国を圧迫して綾朝との連合を破棄させると,
緒土国軍を先導にして綾朝への侵攻を試みた。

ところが,この戦いは,綾朝の建国三傑の一人 里見泰之の果敢な突撃によって
安達側の大敗に終わる。

さて,残ったのは,綾朝と緒土国の間の不協和音である。

神聖は,

「旧都恢復の時は今である」

と意気込んで,
百二十九世7年(1516),兵7万を動員して北伐を再開した。

今回も湯朝では,山奈広康が日生国に呼応して綾朝領をうかがった。

綾朝では,意見が二つに割れた。

何しろ緒土国は,先年,綾朝との連合を一方的に破棄して,
安達軍を先導して侵攻してきたのである。

緒土国に救援を出す謂れはないとする意見も相当に有力であった。

しかし,これも三傑の一人 早智秋の

「日生国が緒土国を飲み込めば,日生国は我が国に3倍する大国となり,
安達家に匹敵する強敵となります。

緒土国を救わないという選択肢は我が国に用意されていないのです。」

と発言したため,緒土国救援が決定された。

入島神聖も実は,綾朝が緒土国を完全に見捨てるとは思っていない。

「一度,綾朝と緒土国の間に吹いたすきま風はそう簡単に収まるまい。

両者は協力はするだろうが,密な連携は難しいだろう。」

と予測していた。

しかも,綾朝は湯朝軍をも迎え撃たなくてはならない。

緒土国救援に割けた兵力は1万5千であり,
その到着までには,早くとも,ひと月半はかかる。

緒土国王 前久は,桃生に精鋭を入れていたが,
その兵力は数千に過ぎない。

日生軍は,久礼半島随一の港湾都市 桃生へと進撃した。