ブリューゲル来航

百二十九世8年(1517),奪還したばかりの桃生に,
フリギスの商船が来航した。

乗員の一人であったアレクサンデル・ブリューゲルは,
政権の顧問の一人として重用されることになり,
やがて,福光を所領として与えられ,
福光安楽(ふくみつ・あらく)を名乗った。

安楽は,本名アレクサンデルの音にちなんでいる。

福光安楽は,より天文学や数学などの知識をもたらした他,
より新しい造船技術をも伝えた。

この福光安楽の仲介によって,
日生国とフリギス(後のレーヴェスマルク)との間には,
正式な通商が開かれることとなる。

ブリューゲルからの日生国についての報告書を読んだ
フリギス女王 ベアトリクス1世は,
フリードリヒ・フォン・リンデンベルクを日生国へ派遣した。

リンデンベルクに謁見し,ベアトリクス1世の国書を奉られた
神聖は,フリギスとの通商を許可した。

入島神聖も,父 伯台神聖の方針を受け継ぎ,
布教と通商を並行して行うイストラ・ペルトナとは距離をおき,
布教を行わないフリギスに親しんでいく。

後,イストラから実質的に独立したリーフランドからも日生国への来航が相次ぐが,
こちらもフリギス同様,布教を行わない相手であったことから,
日生国との親交が深まっていった。