第三次北伐

百二十九世9年(1518),入島神聖は,三度目の緒土国遠征を敢行する。

緒土国は,姫島水道の一帯にペルトナから購入した鋳造砲を配備し,
守りを固めた。

さらに,ペルトナ船に日生軍砲撃を頼んだ。

ペルトナは,日生・緒土両国の争いに深入りしなかったが,
緒土国の固い守りを前に日生軍は進撃を止められる。

また,綾朝が,外城氏を使って日生国の盟邦である湯朝を
牽制したことも日生国には不利に働いた。

湯朝の山奈広康は,外城氏と戦端を開き,
対綾朝戦線では専守防衛に徹した。

綾朝は,日生国の東北の境,上平口から日生国へ直接侵入を図る。

ここに至り,神聖は緒土国遠征を中断して,
浅宮政臣,弟 蒲生聖君(がもうのせいくん)らとともに上平救援に向かった。

日・綾国境にある上平は,
堅牢な総構を持った要塞都市と言ってよく,
将 手塚隆平以下,籠城軍8千は,
綾朝軍4万に対して全く動じない。

このため神聖率いる,日生軍が上平へ到着すると,
綾朝軍は,撤退を始めた。

神聖の蒲生聖君は,追撃を主張したが,

浅宮政臣は,

「我が方は,主力が姫島より長駆してきたのであり,
また上平の兵も綾朝と対峙し続けてきました。

疲労の色がうかがわれます。

綾朝軍も大破されて闇雲に引き上げているわけではなく,
追撃は危険です。」

との見解を示した。

入島神聖は,政臣の言を採用し,綾朝軍を追撃しなかった。

蒲生聖君は,面目を潰されたと感じ,
一方的に政臣に悪感情を抱くようになる。