勢力圏を連年,後退させる緒土国も手をこまぬいているわけではなかった。
百二十九世12年(1521)には,姫島の奪還を狙って攻撃を仕掛け,
また,同13年(1522)には,安達政権を誘って日生国攻撃を計画している。
しかし,いずれも成果は挙がらなかった。
緒土国は,国王 前久が王太子時代から,安達氏への態度をめぐって二つに分裂,
前久の時代になると,綾朝と結んだ朝和が,
前久の王位を認めず緒土国の南半を占有して自立した。
ところが綾朝の元光帝が熊浜に進出すると,
にわかに綾朝と朝和の仲は険悪となる。
綾朝が,熊浜を拠点に内海の諸勢力を取り込み始め,
朝和にとって脅威的な競合相手となってしまったからであった。
朝和は安達宗治の力を借りることで,内海での綾朝の躍進を抑えこもうと考えはじめる。
敵の敵は味方ということで,前久は,安達氏との関係を維持しながらも,
綾朝に接近し始める。
しかし,安達宗治は,前久に日和見を赦さない。
決断を迫られた前久は結局,安達氏を選んで,安達の亜州遠征に付き従った。
けれども,この遠征は綾朝の勝利に終わり,
前久には,綾朝との不協和音だけが残る結果となってしまう。
入島神聖は,
「前久は迷走を続けて,版図を狭め,今や求心力をなくした。
元来,我が国の土地であった久礼半島を支えきれるものではない。
前久を助ける綾朝も,
態度の定まらない緒土国を,信頼出来ない相手と見ている。
ただ,安達氏と直接対峙するのを避けるために緒土国を生かしているに過ぎない。
綾朝にとって,緒土国は安達に対する盾でしかなく,
緒土国の決定的な滅亡さえ避けられれば
それで良いのである。
我が方は久礼さえ取り戻せば,他の緒土国領に興味は無い。
緒土国などよりもっと取るべき場所がある。
早智秋あたりは,こちらの狙いが緒土国の滅亡ではないことに気づいているであろう。
綾朝は,緒土国のためにまともに戦う気はさらさら無い。
久礼恢復までは,あともうひと押し,ふた押しである。」
と分析し,百二十九世14年(1523),五度目の北伐を敢行する。
日生軍は,久礼の目と鼻の先,小日向・入島などの要衝に殺到,
緒土国側の守備軍はあっけないほどに容易く降伏した。
入島神聖の総攬就任以前,日生国が弱体化していた頃,
緒土国はまだ分裂しておらず強盛であった。
しかも緒土国は,自国に数倍する日生国からその都を奪ったことで,
日の出の勢いとなる。
久礼半島の中小の諸侯・領主らは,とても自分たちだけでは緒土国に対抗できず,
その支配を甘受していたが,今や形勢は逆転した。
日生国復帰を目指す諸侯らが久礼半島の各地で緒土国に公然と反旗を翻し始める。
小日向・入島などの拠点は,開戦前から完全に孤立してしまっていたため,
早期に開城したのであった。
