清正19年(1548)=改新5年,井村兵継は突如,正世の邸宅に兵を差し向け,
正世を始めとする多くの三城一族を討ち取ってしまった。
正世は,杉下仁寛から,
「井村兵継を重用しないなら誅殺なさるべきです。
お側におかれるのは危険です。」
と諌められていたが,意に介する様子もなく,
自身に不満を持つ兵継を側においていたのである。
広京を制圧した兵継は,改新帝を捕らえ,
さらに密かに通じていた一条軍を手引きする。
一条智高は,広京に入り,改新帝を清正帝のいる青綾へ送った。
改新帝は謀反人として処刑される。
井村兵継は,一条智高によって
「かつては相国家を裏切り,今また正世公を裏切った。
自己の保身のために世を乱したことは,大罪である。」
と断罪され処刑された。
三城一族の生き残りで正世の次男 貴世は,氷見に籠城して一条家に抵抗した。
しかし,清正20年(1549),完全に氷見を包囲されて孤立,貴世は城兵の助命と引き換えに
自刃し一条家に対して開城,降伏する。
智高は,杉下仁寛に対して,
「かつて,当家が各務の藍原広真に連年苦しめられていた折,
正世公は当家を滅ぼそうとしたということですが,貴殿が止めたと聞き及んでいます。
おかげで今の私があります。貴殿の才をここで潰えさせるには余りにも惜しい。
私に仕えてはくださいませんか。」
と誘った。
けれども仁寛は,
「私はあくまで進言したのみで,一条の家を救う決断は,正世公がなさったことです。
あなたが恩を感じるべきは正世公に他ならない。
ところがあなたは,その恩ある正世公を卑劣な方法で滅ぼされた。
いずれ,あなたはその報いを受けるでありましょう。
幾度生まれ変わっても,私はあなたにだけは決して力を貸さないでしょう。」
と拒絶した。
智高はやむなく仁寛を処刑させた。
来迎重友や片野規秀ら勇将も一条智高の誘いを断って,
やはり処刑された。
諸侯としての安曇三城家はあっけなく滅亡したのである。
とはいえ,一条智高は,
「正世公に恩を返さねばならない。」
といって,貴世の子 長世を幽閉にとどめて助命した。
さて,この頃一条家は,南方の各務国の軍事的圧力から久しぶりに解放されていた。
連年,一条領を侵していた各務国の藍原広真が前年の暮れに薨去したためである。
智高は,さらに兵を東に進め,川合の藤真家を攻め滅ぼす。
藤真家は,舟形諸島で勢力をかろうじて保つに過ぎない小諸侯に転落したが,
やがて勢力回復を狙って,日生国に接近した。
安達政権は畿内を完全に失い,一条家が代わりに畿内を掌握する。
しかし,清正帝は依然として安達領内にあり,
安達政権は広奈国内での主導権を維持し続けようとした。
智綱時代に比肩する勢いを取り戻した一条家と衰えゆく安達政権は,再び対立し始める。
正世を始めとする多くの三城一族を討ち取ってしまった。
正世は,杉下仁寛から,
「井村兵継を重用しないなら誅殺なさるべきです。
お側におかれるのは危険です。」
と諌められていたが,意に介する様子もなく,
自身に不満を持つ兵継を側においていたのである。
広京を制圧した兵継は,改新帝を捕らえ,
さらに密かに通じていた一条軍を手引きする。
一条智高は,広京に入り,改新帝を清正帝のいる青綾へ送った。
改新帝は謀反人として処刑される。
井村兵継は,一条智高によって
「かつては相国家を裏切り,今また正世公を裏切った。
自己の保身のために世を乱したことは,大罪である。」
と断罪され処刑された。
三城一族の生き残りで正世の次男 貴世は,氷見に籠城して一条家に抵抗した。
しかし,清正20年(1549),完全に氷見を包囲されて孤立,貴世は城兵の助命と引き換えに
自刃し一条家に対して開城,降伏する。
智高は,杉下仁寛に対して,
「かつて,当家が各務の藍原広真に連年苦しめられていた折,
正世公は当家を滅ぼそうとしたということですが,貴殿が止めたと聞き及んでいます。
おかげで今の私があります。貴殿の才をここで潰えさせるには余りにも惜しい。
私に仕えてはくださいませんか。」
と誘った。
けれども仁寛は,
「私はあくまで進言したのみで,一条の家を救う決断は,正世公がなさったことです。
あなたが恩を感じるべきは正世公に他ならない。
ところがあなたは,その恩ある正世公を卑劣な方法で滅ぼされた。
いずれ,あなたはその報いを受けるでありましょう。
幾度生まれ変わっても,私はあなたにだけは決して力を貸さないでしょう。」
と拒絶した。
智高はやむなく仁寛を処刑させた。
来迎重友や片野規秀ら勇将も一条智高の誘いを断って,
やはり処刑された。
諸侯としての安曇三城家はあっけなく滅亡したのである。
とはいえ,一条智高は,
「正世公に恩を返さねばならない。」
といって,貴世の子 長世を幽閉にとどめて助命した。
さて,この頃一条家は,南方の各務国の軍事的圧力から久しぶりに解放されていた。
連年,一条領を侵していた各務国の藍原広真が前年の暮れに薨去したためである。
智高は,さらに兵を東に進め,川合の藤真家を攻め滅ぼす。
藤真家は,舟形諸島で勢力をかろうじて保つに過ぎない小諸侯に転落したが,
やがて勢力回復を狙って,日生国に接近した。
安達政権は畿内を完全に失い,一条家が代わりに畿内を掌握する。
しかし,清正帝は依然として安達領内にあり,
安達政権は広奈国内での主導権を維持し続けようとした。
智綱時代に比肩する勢いを取り戻した一条家と衰えゆく安達政権は,再び対立し始める。