誕生

美城神聖(びじょうのしんせい)は,日生国の百二十九世15年(1524),神聖家の本拠 桜阜で誕生した。

父は入島神聖であり,当時,日生国の第百二十九世総攬を務めていた。

母である入島神聖の正妃 琴子は,元老院中間派貴族の名門 深町家の出身である。

美城神聖誕生以前に生まれた入島神聖の子は,男子2人・女子1人がいたが,
いずれも病弱であり,ことごとく夭折していた。

美城神聖は,丈夫で病一つしなかった。

入島神聖は,美城神聖の誕生を大いに喜んだ。

ところで,美城神聖の誕生時には,慶雲が生じたとされる。

慶雲の出現は瑞兆であり,その雲は五彩といって,
赤、青、黄、白、黒の五色に輝いている。

前近代,常盤では虹も同様に赤、青、黄、白、黒の五色とされていた。

慶雲とは虹色に輝く雲である。

さて,桜阜はその地名どおり,桜の名所であるが,
これも美城神聖の誕生に合わせて例年より早くに満開になったと伝わる。

天地にも祝福された誕生と言えるが,神聖家の臣は,
この聖君の将来を危ぶんだ。

聖君とは,通常は徳の高い君主のことを言うが,
日生国では,神聖家に誕生した男子のことを聖君と称する。

ちなみに,神聖家の女子は聖媛(せいえん)と称する。

広奈国や綾朝の皇帝家で男子を皇子・女子を皇女と称するのと似ている。

さて,祝福すべき新たな聖君がその将来を危ぶまれたのは,
ひとえに聖君の様子が,聡明とは思われなかったからである。

聖君の師となった後藤信暁などは,幼少期の美城神聖について

「聖君は,容貌はたいそう秀でておいでだが,
その秀でた目は,常に虚空をさまよっておられる。

ひとの話もお聞きであるのかお聞きでないのかわからない有り様。

反応もお年に比べて限りなく鈍くあらせられる,
お言葉を発せられても一言二言,
茫洋としておいでで意欲や意志もお見受けできない。」

と評した。

ところが,父 入島神聖は,

「聖祖の風がある。将来必ずや偉業を成し遂げるであろう。」

と幼少期の美城神聖に期待をかけた。

聖祖とは,最初に「神聖」の称号を元老院より献呈された
四十世総攬 久礼神聖のことであり,史書が伝える聖祖の幼少期は,
美城神聖の幼少期と似て,

「茫洋としていて,目の焦点が定まらず,言葉少な。」

と描写されている。

間もなく,美城神聖は,聖太子に立てられる。

信暁は,主である入島神聖が尋常でないほど太子を高く評価しているのを知り,

「我が君が,それほどまでに期待する太子を私に託してくださったことは,
この上もない幸せ。

身命を賭しても太子をお支えしよう。」

と,太子に強く情熱を向けた。

入島神聖は,太子に信暁の他にも賢臣・勇将を付けた。

中でも七河清良(ななかわ・せいりょう)は,兵法・天文・気象に通じ,
沢木基(さわき・もとい)は陸戦を得意とし,
高須義織(たかす・よしおり)は内務と水戦に秀で,
火撫厚(ひなづ・あつし)は,間諜を任とする火撫党の後継者であった。

さらに,フリギス出身の航海士 福光安楽の長男 長和も太子に仕える。