初陣

百二十九世の後継の総攬には,後藤信暁の予測通り,浅宮政臣が選出された。

政臣は,保守派と連携して政権を構築し,開明派は,政権から外れることとなる。

保守派も政臣率いる中間派も,互いに連携しなくては,
元老院で多数派となることはできない。

とはいえ,開明派が神聖派と香耶派に分裂している以上,
中間派は保守派と組んで政権を維持するより他はない。

政臣は,百二十九世時代の改革の成果を何とか維持しようとしたが,
保守派の意向を全く無視することは難しかった。

結局,いくつかの反動的な政策が実行される。

一つは選挙区の再改変であった。

百二十九世時代,人口に応じて数度に渡って再編された選挙区は,
保守派に有利な状態に改変された。

また,百二十九世が民間の人材確保を目指し開始した任官試験も,
登用枠が縮小される。

保守諸侯は,国軍の解体をも企図した。

国軍が元々,開明派諸侯の軍を編成して創設された,
保守諸侯の意のままにならない存在だったからである。

国軍を解体して,各諸侯の私兵に戻し,
国軍による保守諸侯への圧力を消滅させようと考えたのであった。

しかし政臣は,

「国軍を解体すれば,強力な緒土国や綾朝の軍を諸侯それぞれが相手にすることになる。

緒土国は百二十九世にすら悲願を達成させず,綾朝も百二十九世と互角に戦った。

それでも百二十九世は,国軍を率いて緒土国から多くの版図を奪い返し,綾朝の侵入を阻止した。

国軍は,日生中興の原動力である。」

と外敵の脅威と国軍の実力を主張して国軍の解体に難色を示した。

保守諸侯に悪夢が蘇った。

何しろ保守諸侯は,百二十九世時代の国軍に惨敗を喫しているのである。

「百二十九世にすら悲願を達成させなかった緒土国,百二十九世と互角に戦った綾朝」と
政臣に形容された相手に対して,保守諸侯は,恐れを成した。

結局,国軍の解体は沙汰止みとなった。

国軍の中央軍,つまり首都 伯台に駐屯する政府直属軍は,
その上層部が保守諸侯で固められたが,
地方や国境の防衛軍では,引き続き開明派諸侯が影響力を維持した。

ところで勢いを盛り返した緒土国と直接交戦して,日生国国境を守ったのは,
香耶義治であった。

百三十世3年(1531),緒土国は大規模な軍を仕立てて水陸より日生国へ侵攻してきた。

香耶家に亡命して2年,8歳になっていた太子は,

「この国難の折,神聖の子である私が,どうして安穏としていられようか。」

と出陣を望んだ。

福光長和は,

「聖太子は,その存在そのものが何より大事なのです。

御身をお守りになり,神聖家の血を繋いで行かれることが使命なのです。

戦は戦を使命とする者が致します。」

と説得しようとしたが,

太子は,

「長和の言はもっともである。しかしそれでも私の父である前の神聖陛下は,
戦場に身をおかれ,将兵とともに国難を乗り越えられようとされた。

私もそうでありたい。」

と重ねて出陣を望んだ。

太子は,征北将軍である香耶義治の計らいにより,国軍の将軍となり,
後藤信暁や高須義織,沢木基らの補佐を受けながら初陣を迎えることになった。