加冠

太子は,緒土国を追い詰めた前の神聖の子である。

その聖太子の出陣を受けて,日生軍の士気は大いに上がった。

陸上を進む緒土国軍は,主に香耶義治が当たり,これに太子の部将 沢木基も加勢,
水上を南下してくる緒土国軍には,太子自らが当たった。

砲撃,銃撃から,白兵戦に移ると,
太子は先頭を切って敵船に乗り込み,敵勢を薙ぎ払う。

日生国将兵らは,しかし,これを太子の軽挙だとは思わなかった。

聖太子が,日頃,穏やかで,言動も冷静沈着であるだけに,

「慎重な太子殿下が,あのように先頭を切っておいでなのは,
御味方勝利を確信しておられる証拠。」

と考え,いよいよ意気盛んに敵勢に突入した。

太子の突出癖は,後に神聖に即位しても変わることなく終生続き,
自然,彼の近衛は,勇猛果敢な者で固められることになる。

緒土水軍は潰滅的な打撃を受けた。

水陸の連携が不可能となった緒土国軍は,日生国の勢力圏から撤退する。

「ただ一度の戦で,緒土国を沈黙させてしまわれた。」

との香耶義治の言は,多少の誇張はあるが,
少なくとも,以後,数年,緒土国の日生国への本格的な侵攻は本当に沈黙してしまった。

太子は,緒土国との境にある要衝 入島に入り,その防衛と統治に当たる。

無論,太子が成人するまでは,その政策立案・実行を実質的に統括したのは,
後藤信暁であり,太子は,師 信暁の手法を学んでいく。

日生国では,「成人」とみなされるのは,16歳からである。

もちろん,当時は,身分や階層によって,成人とされる年齢に差異があった。

しかし,少なくとも,神聖家や玉爵家では,16歳になってから,加冠を行い,
成人とみなされるようになる。

百三十世11年(1539),太子は加冠し,香耶義治の娘 妙子と婚約した。

「聡明で美しい人である。」

と太子は妙子を気に入り,妙子も太子を慕ったという。

この頃には,信暁は太子に実権を返し,補佐としての立場に移った。

大規模な侵攻こそなかったが,太子の守る入島は国境の要衝であるだけに,
小競り合いはしばしば起こった。

太子は,信暁や義織・基らを率いて度々,出陣して勝利を収めた。

その際,多くの捕虜は,全て助命して解放したといい,太子は緒土国側でも慕われた。

入島の統治でも,仁政をしき,
戦災で親を亡くした子供・子を亡くし身寄りを失った老人・夫を亡くした妻など,
困窮した者を保護して,民心は大いに安定した。

日生国内でも特に開明派内において,太子に期待する声は,高くなっていく。