帰還

病が篤くなった蒲生聖君は,
自身の子 統慈聖君に忠誠を誓うよう,重ねて側近らに遺言した。

経運の乱の後も,蒲生聖君父子に対する不穏な動きは静まらず,
遊暁のように太子のもとへ出奔する臣も多くあった。

蒲生聖君が身罷ると,太子の臣らは,
太子に神聖家への帰還と神聖への即位をすすめた。

しかし,太子は,

「叔父上(蒲生聖君)は,幼弱であった私に替わって神聖家を保たれた。

従兄殿(統慈聖君)が,また神聖家を保つのであれば,それが良い。」

と述べて,神聖即位に消極的であった。

ところがその統慈聖君は,蒲生聖君が亡くなった折,

「私は,どうなるのだ。神聖になれるのか。

父が明慈を討ち損じたばかりに要らぬ苦労をしなくてはならない。」

と太子の諱を呼び捨てにして周囲に苛立ちを漏らした。

「父の徂落を悼まず,国の将来に思いを致すこともせず,
ただただ己一人のことしか考えられないとは。」

神聖家の多くの臣が統慈聖君に失望した。

ついに神聖家の諸臣は,連名で太子に帰還と神聖への即位を請願し,
これを受けて太子も,

「天命であろう。」

と,帰還と神聖即位を決断した。

浅宮政臣も動き始めた。

政臣は,開明派が分裂したため,開明派と中間派の連合政権を諦め,
保守派と連合せざるを得なかった。

そのため,百二十九世時代に行われた改革の多くが後退を余儀なくされた。

香耶家に庇護されている太子が神聖となれば,神聖家と香耶家の対立は終わり,
開明派は統一される。

そうなれば,再び開明派と中間派で連合し,
百二十九世時代の制度を復活させることができる。

政臣は,台頭する周辺諸国に対抗できる態勢を作り日生国を存続させるためには,
百二十九世時代の改革の成果が必要であると考えていた。

政臣は太子に,神聖家への帰還を助力する旨,密かに申し出た。

保守派は政臣の企図を察知して,中間派諸侯を切り崩しにかかる。

政臣は,開明派に由来する国軍の力を背景に保守派を抑えこんだ。

太子は,苦楽を共にした諸臣・将兵らとともに神聖家への帰還を開始する。

香耶家,浅宮家もそれぞれ兵を出して太子を後押しした。

神聖家領の各地で,太子は歓呼で迎えられる。

諸臣がこぞって太子に,従った。

そうした折,太子に訃報が届いた。

婚約していた妙子の薨去である。

史書は,「薨去」と記し,妙子を聖太子の妃として扱っている。

太子は,慟哭して妙子を悼んだという。

太子は,しかし気を奮い立たせて,桜阜への帰還を目指す。

母の徂落の際もそうであったが,太子は,素直に感情を発露する性質であるが,
その感情に固執することはなく,状況を見失ったり,判断を鈍らせるということはない人であった。