神聖即位

統慈聖君の軍は,太子の軍の行く手を阻もうと,水無瀬という地に布陣した。

とはいえ,統慈聖君を支持する者は少なく,
わずかに兵3千強。

太子は,本隊だけで1万を数える兵を有しており,
香耶家や浅宮家の軍の加勢もあり総勢3万弱にふくれあがっていた。

鎧袖一触,統慈聖君の軍は霧散した。

太子は,10年ぶりに桜阜に帰還を果たし,
ようやく父母を祀る陵墓に詣でることができた。

依然として統慈聖君は,側近と僅かな兵とともに世羅に籠っていた。

統慈聖君の陣営は動揺していた。

統慈聖君の側近の一人,小林禎房(こばやし・さだふさ)は,
統慈聖君の身柄を太子に差し出して恩賞に与ろうとした。

この計画は,事前に露見し,統慈聖君は禎房を処刑した。

側近に背かれたことで,統慈聖君は,疑心暗鬼となる。

太子に神聖への即位を請願した小倉恵久(おぐら・よしなが)が
統慈聖君の側近の一人,小倉資久(おぐら・もとなが)の兄であったため,
統慈聖君は,猜疑心から資久を,誅殺してしまう。

これは,統慈聖君にとって致命的であった。

世羅から,逃亡する将兵が相次ぐ。

太子が世羅を包囲すると,
統慈聖君は,世羅近郊の占野(しめの)で自害してしまった。

統慈聖君の一族もこれに殉じた。

ここに至って統慈聖君の側近らは,太子に降伏し,世羅を明け渡した。

この時,統慈聖君の側近の一人であった
川瀬直綱(かわせ・すぐつな)は,太子に対して

「あなたは,徳と知とによって推戴されるべき神聖に,武力で即くのだ。」

と直言した。

太子は,

「諸臣の推戴を受けたとはいえ,このたび武力を用いたことは,
私が生涯,また代々,背負わなくてはならない業である。」

と語った。

太子は,神聖に即位し,後に美城神聖(びじょうのしんせい)と称されることになる。

美城神聖は,即位後,改めて父母の陵墓に詣でた。