選出

美城神聖は,加冠の際,香耶義治から香耶家の所領の一部を借り,
その地の選挙区において元老院議員として選出されていた。

しかし,今回,桜阜に帰還したことで,香耶家に借りていた所領を返還し,
改めて,桜阜選出の元老院議員となっている。

政臣は,保守派を政権から排除し,神聖家や香耶家・平民派と組んで,
政権を構築したが,

「この際,政権の顔を変えた方が,政府への輿望が高まる。」

と考えていた。

しかし政臣から内々に総攬への就任を打診された美城神聖は,

「私は,今年,加冠したばかりで未だ世に徳も施していません。
総攬にふさわしくありません。

経験豊富な浅宮玉爵が総攬をお続けになる方が良いでしょう。」

と固辞した。

政臣は,なおも美城神聖に総攬就任を打診するが,神聖は,

「浅宮玉爵がどうしても総攬をお辞めになるというのであれば,
後継の事を考えなくてはならないでしょうが,それでも,
その後継にふさわしいのは私ではないでしょう。

香耶玉爵の方がふさわしいかと思います。」

と述べて,やはり固辞した。

政臣は自ら,美城神聖のもとを訪ねて,総攬選への立候補を勧めた。

ところが,神聖は,総攬選の段取りについて切り出そうとした政臣に,

「私の考えは,既に話した通りです。」

と言うばかりであった。

沢木基は,

「浅宮様と香耶様,いずれもその勢力は同等。互いに牽制しあうことになり,
どちらが総攬となっても,新しい政府をまとめることはできないでしょう。

我が君が立たれるより他に,すべはないと存じます。

我が君は,どのような思し召しでありましょうか。」

と神聖に真意を尋ねた。

美城神聖は,

「天地人が揃えば決断するだろう。」

とのみ,口にした。

さて政臣は,香耶義治や平民派の領袖 本間周子(ほんま・ちかこ)を始めとした
元老院議員を巻き込んで,美城神聖を総攬選に出馬させるべく運動し始めた。

この動きは,元老院内のみならず,広く世に広がった。

ここに至り,美城神聖は,

「天地人が揃った」

として,総攬選挙への立候補を決意する。

百三十世12年(1540),美城神聖は,政臣の総攬辞職に伴う総攬選で,
第百三十一世総攬に選出された。