決戦

綾朝草創期,早智秋は,元光帝に名和平原への進出を勧め,
いわゆる北方の諸豪との連携を成立させ,後背地の安全を確保した。

しかし,北方の諸豪や,かつては,元光帝やその父祖より優位に立っていた船岡南家は,
必ずしも綾朝に心服していなかった。

さらに,重光氏などは,当初より綾朝に敵対し続けていた。

美城神聖は,これら亜北地方の諸勢力を扇動・支援して綾朝に離反させる。

綾朝側の総大将,春成皇子は,皇太子 輝成皇子に取って替わる腹積もりがあり,
湯朝戦で短期決戦を成功させたことに気を良くし,
対日生国戦でも成果を挙げることに強くこだわった。

春成の側近 北村行臣は,日生国保守派の扇動を春成に進言する。

ところが同じく春成の側近 早智伯は,北村行臣の策の実効性に疑問を呈した。

しかし,春成は,綾朝に不利になりつつある戦局の打開を焦っており,
行臣の策に飛びつく。

日生国の保守派は,中間派の切り崩しを図って,政権奪還を目指し始めた。

神聖は,

「外に綾朝,内に保守派。まさに内憂外患といえる。

先に抑えるべきは,内であり,内を抑えるまで外には専守防衛に徹せねばなるまい。」

と,保守派を抑止するために前線の戦力を移動し始める。

この動きが,綾朝側に伝わると春成皇子は気を良くして,
山門川の戦線で総攻撃を指示した。

早智伯は,

「私には,日生国内で変事が生じているようには思えません。

日生軍の戦力移動は,日生側の誘導です。

日生軍は,我軍の総攻撃に充分に備えていると思われます。

死地に飛び込むことになります。」

と,慌てて春成皇子を止めようとした。

春成皇子は,智伯の言葉に耳を貸さなかった。

綾朝軍は総攻撃を開始する。

容易く綾朝軍が山門川の渡河に成功したかに見えた。

しかし,それはまさしく早智伯が予測した通り,死地へ綾朝軍を誘い込む日生側の策であった。

神聖は,綾朝の北村行臣による策を逆手に取ったのである。

神聖が,保守派抑制のため前線から移動させたかに見えた日生軍は,
実は,密かに前線に戻り,山門河畔で息を殺して綾朝軍を待ち受けていた。

綾朝軍は,川を背にすることになった上,
突如,想定していない方向から日生軍の部隊の攻撃を被ることになったのである。

綾朝軍は山門川に追い落とされ,川は朱に染まった。

里見泰友,瀬野幸就,早明広ら譜代の勇将らが,壮絶な討死を遂げる。

綾朝は決定的な敗北を喫した。

綾朝内では,皇太子が唱える日生国との講和論が急速に台頭する。