世界

花宮神聖の代より,日生国には,西洋諸国が続々と来航していた。

百三十一世10年(1549)には,新たに,リーフランドの使節 エルドレッド・カーティスが
日生国に来航し,通商を求めた。

当時,リーフランドは,イストラから実質的に独立し,南洋・東洋へ進出して,
覇権を確立しつつあった。

美城神聖は,通商を許可し,綾瀬にリーフランドの商館が開設された。

また,百三十一世11年(1550)には,レーヴェスマルク(旧フリギス)の船が姫島沖で座礁したが,
神聖は,船員を手厚く保護するとともに,彼らの知識・文化にも大いに興味を示した。

美城神聖は,西洋の文物を学ぶための学問所を開設し,
この時の遭難航海士の多くを顧問として雇い入れている。

西洋の学問は,後,洋学と呼ばれ,語学・天文・医学・測量・物理・化学・絵画・音楽など,
極めて多岐にわたる分野で発展していく。

しかし,西洋諸国との通交は,摩擦をも生み出していく。

イストラは,レーヴェスマルクに敗れ,リーフランドの独立を許し衰退を始めていたが,
依然として,南洋に植民地を持っており,常盤への侵攻を目論んでいた。

ペルトナも,南洋で勢力を維持し続けて,やはり,常盤の地に野心を持っていたとされる。

常盤人が,南洋へ進出し盛んに交易を開始すると,
その活動は,南洋で覇権を確立しつつあったリーフランドと
衝突する可能性をはらみ始めるようになった。

リーフランド商館長であるエルドレッド・カーティスは,
リーフランドが,常盤諸国との交易で独占的な利益を得られるように,
対外情勢について偏った知識を日生国首脳部に伝えたともいわれる。

美城神聖は,

「いずれの国も自らを第一とするのは自明のことである。

様々な消息を勘案しなくては,世界の有り様を見誤る。」

と,各所から得られる情報の冷静な分析と判断を心がけるとともに,
その目は世界を見据えていたのであった。