対立

美城神聖と浅宮政臣の関係は悪化の一途をたどる。

浅宮政臣は,強固な貴族制の下での富国強兵を望んでおり,
一方で,美城神聖は,貴族制の限界を感じて,
台頭する平民派を積極的に巻き込んだ富国強兵を望んでいた。

選挙区改革によって,元老院議員の選挙区は人口に基いた区分となり,
政府直轄領の選挙区数が増大,貴族領の選挙区数は減少する。

政臣は元老院内での平民派台頭を,貴族制を崩壊させるものとして危惧し,
積極的に平民派を政府に登用する神聖に公然と対決姿勢を示した。

政臣は,

「諸侯・士族の政は,賢人の政である。

諸侯・士族は代を重ねて,先賢の知を保っており,
そのために大義と大局によって政を行うことができる。

平民派には,利殖に努めて,一代・二代で勃興した者が多く,
先賢の知を持たず,目先の利にさとい。

その政には大義・大局が欠けている。

衆愚の意見や議論は,賢人一人の無為に劣る。」

とさえ言った。

美城神聖は,

「諸侯・士族が必ずしも賢哲とは言えない。

諸侯・士族は,先賢の知のみならず,旧弊をも保っている。

平民派も必ずしも利殖を事とする者ばかりではない。

旧弊に気づく知恵とそれを改める知恵を持っている。

我が国は旧都をかつて失った。

それは,旧弊により我が国が弱っていたためである。

諸侯・士族にも旧弊を改める志を持つ者も多かったが,
己の利のために旧弊を守る諸侯・士族はそれ以上に多かった。

父は,その徳により諸侯・士族・平民を問わず,賢哲を用いて旧弊を打破し,国を強くした。

そのお陰で今,旧都を恢復することができた。」

と反論した。

後藤信暁は,

「政府の内に様々な意見・議論が有ることは望ましいことですが,
しかし,政府は分裂してはいけません。

浅宮玉爵の態度は,政府を分裂させる危険性を孕んでいます。」

との懸念を示して,浅宮政臣の勢力を除いた形での政権構築を促す。

美城神聖が総攬に就任した頃の元老院は,
開明派貴族3割・中間派貴族2割・保守派貴族3割・平民派2割という構成になっていた。

そのため,開明派率いる美城神聖は,平民派のみの協力では,
元老院で安定した多数派を形成することができず,
中間派の協力を得ることが不可欠であった。

しかし,変化が訪れる。

先述のように平民派が台頭してその数が増加,
中間派貴族の元老院内での議席数は減少した。

また,浅宮家も分裂していた。

神聖が以前,遠縁にあたる高臣を浅宮政臣の養子として送り込んだことをきっかけに,
浅宮家には,高臣を中心とする親神聖家勢力が形成された。

浅宮家でも高臣派は元老院内において,開明派の立場をとるようになる。

元老院内は,
開明派3割5分・中間派1割5分・保守派2割5分・平民派2割5分という構成になっていた。

中間派の元老院内での影響力は低下し,それに伴って浅宮政臣の求心力も弱まる。

百三十一世12年(1551),美城神聖は,政権から中間派を排除する。

開明派と中間派の亀裂は決定的なものとなり,
既に述べたように,美城神聖は中間派貴族の出である后 節子との離縁を余儀なくされた。