海西経略

美城神聖は,久礼奪還戦の折の姫島沖海戦以来,
安達家との対決は,不可避であると考え,
安達家の勢力を削ぐべく策を巡らせ,清正癸丑の変を引き起こさせることに成功した。

さらに神聖は,安達領内の有力者に接触を始めた。

その結果,三沢氏や瑠璃光氏などが,日生国への内応を約束する。

清正癸丑の乱により安達家の威信が失墜していたことも、有力諸氏が安達家を見限る背景となっていた。

また,神聖は,緒方哲彰(おがた・さとあきら)という側近を,
安達方へ埋伏させた。

さらに,一条氏など広奈国西国の諸侯が,安達領へ介入してくることを警戒して,
各務国や新名氏と結び,広奈国西国を牽制する。

神聖は,

「戦そのものが長引けば,国力で劣る当方が不利,調略・計略を尽くして,

干戈を交える前に優位を揺るぎなくしなくてはならない。」

と考えていたのであった。

百三十一世15年(1554),環境を整えた美城神聖は,いよいよ安達領攻略に着手する。

柿木玄尋は,日生水軍の上陸を防ぐために沿岸部の防備強化を図ったが,
何しろ海西地方の海岸線は長い。

玄尋は,諜報の網を巡らせ,日生軍が上陸を狙う可能性の高い場所を探った。

もたらされた情報は,

「日生軍は境付近への上陸を狙っている。」

というものであった。

境は,藤真水軍の本拠 舟形諸島からも比較的近い。

日生軍本隊が藤真水軍と連携を取ろうと思えば,境への上陸は都合が良い。

玄尋は,もたらされた情報は信憑性が高いと考え,境に戦力を集中した。

問題は,境と舟形諸島の中間の沿岸部にある青綾には清正帝がいるということである。

玄尋は,万が一の場合に備え,清正帝に海西から,静鹿地方の越野へ移ってもらうこととした。

さて,日生軍先鋒 御月高任・飛良暁遊・原政人らが向かったのは境ではなく,結島浜(ゆしまはま)という,
安達家本拠 水奈府に近い場所であった。

安達方は完全に,日生側の上陸地点秘匿策に引っかかってしまったのである。

さて藤真水軍は北から,境を目指して侵攻を開始した。

さらに,内応を約束していた三沢氏も境攻撃に加わった。

境の兵力はいよいよ日生側の上陸作戦が始まったと思い込み,この地に釘付けになる。

日生軍本隊は,予想外の攻撃に混乱する結島浜の防衛網を突破し,海西上陸を果たした。