広奈国崩壊

越野の清正帝は,日生国討伐の詔勅を下した。

しかし,最も有力な一条氏は,日生国の動きに呼応して広奈国へ侵入した
各務国の藍原将真(あいはら・まさざね)の攻撃を受けており,
身動きが取れない状態であった。

首内・首北の諸侯による日生国への反撃も結束を欠き,散発的となる。

海西上陸から一か月が経つ6月には,日生国は,海西地方の全域をほぼ制圧し終えていた。

元より南海衆が安達政権から離反して日生国に属したことがこの戦役の端緒となったのであるが,
結局,安達政権の滅亡により,南海衆は,その脅威から解放された。

ところで,日生国による海西制圧は,綾朝宮廷を動揺させる。

日生国は,一気に,綾朝の2倍近い勢力となったからである。

綾朝では,日生国と安達家が抗争によって疲弊したところで,
漁夫の利を得ようという考え方が主流となっていたために,
日生国の首州進出に遅れを取ったのであった。

しかし今や,綾朝では,皇太子派も春成皇子派も

「これ以上,日生国や各務国の動きに遅れを取れば,
我が国は永久に海内統一の機会を失いかねない。」

という懸念を共有した。

綾朝軍は,北海から首北沿岸,内陸,南海では海陽地方へ三路に分かれて広奈国版図へ侵攻した。

10月,広奈国では,清正帝が崩御し,幼い太子が践祚する。

乾徳帝である。

綾朝軍の猛攻に,広奈国諸侯の軍は,後退を繰り返した。

乾徳帝は,一条軍に守られながら越野を離れ,広京へ入った。

一条智高は,各務国の藍原将真の攻撃を何とか凌ぐと,そのまま将真と講和して,
さらに娘を将真に嫁がせて政略結婚を行い,同盟を成立させていた。

この同盟により,一条軍は南方からの軍事的脅威を解消して,
乾徳帝のために兵を動かすことができたのである。

乾徳帝を奉じる広奈国諸侯は,一条智高を中心として綾朝への抵抗を継続する。

さて,美城神聖は,

「急に制を改め,日生国譜代の者のみを用いれば,混乱と反発を招く。」

として,降伏した旧安達家臣らを用いて,旧制を継承しながら海西の統治を開始した。

また,この年の戦火の影響を考慮して,海西での租税を減免している。

日生国の統治が穏当なものであったため,さしたる混乱は生じず,海西の民心は安定した。